芭蕉db
(黒髪山・曾良)
黒髪山*は霞かゝりて、雪いまだ白し 。
(そりすてて くろかみやまに ころもがえ)
元禄2年4月1日。今日は衣更え の日。曾良は、この旅の出発にあたり黒髪を落とし、すでに墨染めの僧衣に衣更えをしたのだが、今日こうして黒髪山で衣更えの日を迎えるのも因縁に違いない。曾良の句 とするが、曾良を印象的に登場させるために芭蕉が作ってここに入れたのである。
黒髪山(日光男体山)
午前中は、快晴だったが、午後には雨模様となり、中宮に到着したころは、黒髪山は雨雲に霞んでいた。(写真と文:牛久市森田武さん。2002年5月19日撮影)
芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく:<ばしょう のしたばにのきをならべて、よがしんすいのろうをたすく>と読む。曾良は深川芭蕉庵の近くに住み、芭蕉の生活の助けをしたことを言う。人間芭蕉を、芭蕉庵の芭蕉の木(本当は草)にかけた言い回し。
旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ:<たびだつあかつきかみをそりてすみぞめにさまをかえ>と読む。この旅の計画当初では、同行者を曽良でなく路通とする予定だったが、なぜか最終的に曽良に変更された。そのため、後世、「曽良スパイ論」がささやかれるようになった。この記述、「墨染めに変装」したことなども一つの論拠となった。その真偽は今でも不明。
「衣更」の二字、力ありてきこゆ:<「ころもがえ」のにじ、・・・>と読む。結句の「ころもがえ」が、句に勢いを与えていると言うのだが、この日は4月2日であって、「四月朔日=衣更え」を強調するための作意。
全文翻訳
黒髪山は霞がかかって、真っ白な雪が残っていた。
剃捨て黒髪山に衣更 曾良
曾良は、本名河合惣五郎という。深川芭蕉庵のそばに居を構え、私の朝夕の飲食を助けてくれる。このたび、松島や象潟を一緒に旅することを喜び、また、旅の苦労を助けようと、墨染めの衣に着替えて、その名も惣吾を改め宗悟としたのである。よって、このような黒髪山の句を詠んだのだが、特に「衣更」の二文字に言葉の力を感ずる良い句だ。