芭蕉db

槐市・式之宛書簡

(元禄4年9月23日 芭蕉48歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 先日御飛脚之便、貴答申上候。相達し可申と奉存候。愈々御機嫌克、御奥方様方・御子様方御堅達に被御座候哉、承度 奉存計に御座候。其節京より牡丹三本進上仕候よし*、乍去じゆけいは茂安不出内は上花之由申候*。右之内、向井平次郎と申、去来事に而御座候*。自是二もと進上仕候*。則此兄方に当年茂安・くらはし・なびか三花共に求申候間*、此め立出次第、一両年之間には必進上可仕と申候。此度上花得調不*、近比残念奉存候へ共、殊之外調兼候故、先中花三本進上仕候。 就夫、中村荒右衛門方へは旦那様より御礼状被遣候而も*くるしかるまじく奉存候。小身者には御座候へども、与力にて御座候故、初旗本よりも直々書状取替申、一度左様に被遊候上は貴様方御両人より御状被遣御尤奉存候*。御状之端書に、向井平次郎方へも可然頼入候と被遊可然奉存候*。此段御六ヶ敷思召候はヾ、御機嫌次第に可遊候*。私住所不定に御座候故*、重而之御為と奉存候。両人年々随分才覚仕筈に頼置申候*。平次郎へは貴様御両所より御近付に尤御成御置可遊候。向井元升子*に而只今牢人、兄元端と申候而、一条政所様御扶持被下候。御書談被成候而も賤敷者に而も無御座候故*、如此申上候。
一、私義江戸より門人共度々申越に付、俄存知立、一両日中に先道中筋迄発足仕候*。 近年之内又々上京仕候而、窺
御機嫌申候間、御前可然 被仰上下候*。尤も一両夜逗留に成共参上仕度奉存候へ共、同道之もの共も一両人御座候而、此筋勝手よろしく御座候故*、自是罷立候。江戸へは冬中に下着可仕奉存候間、重而御案内可申上候。御句等御座候はヾ、追々御書付可下候。頃日、其角又集仕由申越候間、撰入可仕候*。猶期後音申上*

恐懼謹言
九月廿三日              桃青 書判

中尾源左衛門様
濱 市右衛門様

尚々、九州四国之方一見残し置申候間、何とぞ来秋中にも又々江戸ヲ出可
申覚悟、不定ながら御待被成 可下候。各々様風雅、其内御修行御上可成候。
 猶以京より夜に入罷帰候而、深更に及候而、書状相したゝめ候故、前後難
弁候間、御免被遊可下候。 

 京から膳所の 義仲寺に帰ってきて、深夜に及んだにもかかわらず伊賀上野の槐市式之宛に書いた書簡。 去来史邦が牡丹 の苗木を藤堂家に贈るに関しての仲立ちについて依頼し、かつ江戸下向を前にしての別離の挨拶のための一通。

 興味があるのは、来年(元禄5年)秋には再び旅に出て、今度は九州四国を目ざすと追伸していることである。

 芭蕉は、この五日後の元禄4年9月28日、最後の江戸下向の旅に出発した。