義仲寺無名庵から京都の去来宛に書いた書簡。『奥の細道』以来長かった上方を後にして江戸に下る行動に入った時期の書簡である。実際には、これから江戸へ下る手筈で京に上り、再度またここに戻ってから江戸に向かうことになる のだが、出発を誰にも教えないという秘密主義だが、厳しい姿勢が注目される。
先日ほのかに申談候通り、追付旅立、京よりすぐにと存候:<せんじつ・・もうしだんじそうろうとおり、おっつけたびだち、・・>と読む。京より旅立つと言っているが、実際にこのあと京都に上り、再度無名庵に帰ってきてから江戸の向かうことになるのだが・・。
貴様御存知なき分可レ被レ成候:<きさまごぞんじなきぶんになさるべくそうろう>と読む。貴方も私の江戸下向は知らなかったことにして下さい、の意。
此状史邦へ早々被レ遣可レ被レ下候:<このじょうふみくにへそうそうつかわされくださるべくそうろう>と読む。この手紙の内容(牡丹献上の話)を史邦に伝えて欲しい、の意。「史邦」は京都所司代与力で門人。
いがより牡丹取に参候哉:伊賀藩より牡丹を受け取りに来たか、の意。去来と史邦が伊賀藤堂家に牡丹(の苗木か?)を献上することになっていたらしい。牡丹の移植は難しく、太陽暦の2月頃がよく、旧暦9月のこの時期が適期とは思えないが・・・
尚尚漢和一折珎敷令レ感候:<なおなおかんなひとおりめずらしくかんぜしめそうろう>と読む。漢和俳諧(漢語を用いた俳句)一折(歌仙18句か?)頂きましたが大変興味が有りました、の意だが、誰が作ったものかなど詳細は不明。