芭蕉は、『幻住庵の記』を執筆し、その草稿を京都に居た去来に見せ、批評を求めた(凡兆にも批評を依頼している)。去来から来た意見に基づいて改訂版を起し、それを再度去来宛に送った。これは、その原稿に付けた書簡と考えられている(その草稿は散逸して現在見当たらない)。
『幻住庵の記』の推敲過程がよく分る貴重な書簡である。
発端行脚の事を云て、幻住庵のうとき由:<ほったんあんぎゃのことをいいて・・・・>と読む。「発端」は『幻住庵の記』の書き出しのこと。「行脚」は『奥の細道』の旅のこと。つまり、「書き出しで奥の細道の話が長すぎて、幻住庵になかなか入らない」という去来の指摘をいう。
蝸牛・蓑虫の栖を離と云て:<かたつもり・みのむしのすみかをはなれてといいて>と読む。『幻住庵の記』原文参照。
行衛なき方、流労(浪)無住、終に一庵を得る心なれば、前段行脚共に、皆居所にかゝり候:流浪の旅を続けて最後に幻住庵に住むという趣意であるのだから、前段部分の奥州の旅の話は、最終的に幻住庵に収斂するのであって、無駄とは思いません、の意。去来の感想に対する部分的な反論である。
長明方丈の記を読に、・・・皆是栖の上をいはむとなり:鴨長明の『方丈記』を読むと、方丈の話に入る前に(長文の)前段が有ります。福原遷都の騒動・都の大火・地震などがそれですが、それも結局方丈の栖につながる話です。
愚非聊のがるゝ處有といへども:<ぐひいささかのがるるところありと・・・>と読む。『方丈記』でも前段が長いように、私の記述が長いのも許されると思いますが、の意。
幻住庵にかゝる所はきはきとなくて:幻住庵についての記述があまり判然としていないので、の意。『方丈記』では、庵についての説明が詳しいのに比べて幻住庵については余り詳しい記述が無いことを指しているのであろう。
猶御遠慮なく御評判可レ被レ成候:<なおごえんりょなくごひょうばんなさるべくそうろう>と読む。遠慮無く批評して欲しい、の意。
空山・孱顔、心相違いかヾ可レ有二御座一候や:<くうざん・さんがん、こころあいちがいいかがござあるべくそうろうや>と読む。「空山」は、人気(ひとけ)の無い山のこと、「孱顔」とは、高く険しい山のこと。両表現の違いはどうでしょうか、の意。
このかみの御ぬしへ御尋可レ被レ下候:<このかみのおぬしへおたずねくださるべくそうろう>と読む。「このかみの御ぬし」とは、去来の兄、向井元端を指している。宮中の儒医で一級の知識人であった。そこで、空山と孱顔を一度に併記することの良否をたずねて欲しいと云うのである。
除老・王翁が事は山谷の口の方に有レ之かと覚申候:<じょろう・おうおうがことはさんこくのくちのかたにあるかと・・>除老・王翁は「徐佺」と王道人で共に黄山谷の詩に出てくる人物。その初めの辺りにあったはずだの意。
一連の詩に二人の名をとる事無念に候:一つの詩に上の二人の名前を使うのは残念なので、どっちか一方を別のものから引用したいのだが。続く文では、ここに参考書が無いので、兄上にぜひその旨追加をして欲しいと嘆いている。
我が聞しらぬ咄に日をくらす、朱文公の濃(農)談日西と云句の心にて書申候へ共:「我が聞しらぬ咄に日をくらす」というのは、朱文公の「我聞きしらぬ農談に日を暮らし」という朱文公の詩から取ったのですが。。
頓て立出てさりぬ:<やがてたちいでてさりぬ>と読む。今残っている文では、『幻住庵の記』の「卯月の初めいとかりそめに入りし山の、やがて出でじとさへ思ひそみぬ」とある箇所のことだが、一筆加えた結果は不明。
曲水位署書:<きょくすいいしょがき>と読む。曲水の官位や姓名の表記のことで「勇士菅沼曲水子の叔父になんはべりしを」とあるのを言う。 凡兆はこれを削除せよと言ってきたが、最終的に掲載するとした。