芭蕉db

去来宛書簡

(元禄3年8月 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


△発端行脚の事を云て、幻住庵のうとき由*、難至極*。陳而曰*、蝸牛・蓑虫の栖を離と云て*、行衛なき方、流労(浪)無住、終に一庵を得る心なれば、前段行脚共に、皆居所にかゝり候*。長明方丈の記を読に、方丈の事いはむとて、新都の躁動・火事・地震の乱、皆是栖の上をいはむとなり*。愚非聊のがるゝ處有といへども*、幻住庵にかゝる所はきはきとなくて*、御一覧の所尤と同ズ。則前後の文章まぜ合、如此につゞり候*。猶御遠慮なく御評判可成候*。され共、少々草臥付申候間、前後の文先是迄にとゞめられ、所々は御加筆くるしからず候間、能々御覧被成候而、他のそしりをまぬかれ候様に可成候。
△空山・孱顔、心相違いかヾ可御座候や*。但シ胸中の空山たるべく候間、くるしかるまじくや。このかみの御ぬしへ御尋可下候*。誹文御存知なきと被仰候共*、実文にたがひ候半は無念之事に候間*,御むつかしながら御加筆被下候へと御申可下候。
△除老・王翁が事は山谷の口の方に有之かと覚申候*。一連の詩に二人の名をとる事無念に候*。王翁が替り入替度候へ共、手前一冊之書なし。尤無才にしてさがすべき便り無御座候間、是等の方御力ヲ可加候。
△我が聞しらぬ咄に日をくらす、朱文公の濃(農)談日西と云句の心にて書申候へ共*、直に濃(農)談の二字を書改候。いかヾにや。
△頓て立出てさりぬ*、難至極。仍、筆の一字を書そへ候。
△国分山に取付處*,いま少よろしく風流あるべく候。此處御工夫可忝候。此度之文章少落付たる様に愚意にも被存候。加生へも御見せ可下候。何とはなしに此度惣体不出来の由被申候由、気の毒に存候。此人申状も難捨候間、又々御よみきけ可下候。曲水位署書*、一旦加生の指図にもまかせ候へ共、又々貴様よりも被仰下、此段古人の格み候間、不用にはあらず候へ共、文のつよみ無御座故、又々事くどく書申候。其段御伝可忝候*
    去来雅丈                         はせを

書簡集


 芭蕉は、『幻住庵の記』を執筆し、その草稿を京都に居た去来に見せ、批評を求めた(凡兆にも批評を依頼している)。去来から来た意見に基づいて改訂版を起し、それを再度去来宛に送った。これは、その原稿に付けた書簡と考えられている(その草稿は散逸して現在見当たらない)。
 『幻住庵の記』の推敲過程がよく分る貴重な書簡である。