芭蕉db

近藤如行宛書簡

(元禄5年10月13日 芭蕉49歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


其元大火、御家財消失之由相聞へ候而、笑止千万に存候*。早々以書音御見舞と心懸候へ共、何角取紛候而、御無沙汰、本懐之到に候*。されども、風雅兼而御ひろめ置候へば、近在、縄・竹等之便り程之御事もやと、推察致候*。 兎も角も、小屋懸しつらひ候哉。後便、為御申聞、待入存候。竹戸・梅丸子など、相ともに類火之由、いづれもいずれも御難儀、難申尽候。古畑焼、芽を可出風雅之吉瑞にも成可申候*。四大、終に類火之約束*。家財は小変之事に候へば、御無事珍重と悦申候*。子共堅固に而、兄、尾州へ御形付被成候よし、是も珍重之一に候*
爰元、持病もさのみ指出不申、深川に草庵わりなく営、先先年之内は休に相究候。
何とぞ近歳、可御意候。春に成候はヾ、焼まぎれに御下り候而も可然候半様に存候*。愈無御油断風雅御勤、古畑、芽ヲ出し候様に御はたらき、御尤令存候。頃日は膳所珍夕下り、愚庵滞留、折々俳諧聞居申候。今日は任行丈御尋被成候故、立ながら一翰如此御座候*。頃日に市之進殿参可申候間、其節、委細可進之*。竹戸・梅丸丈、一伝申度候*
 
     十月十三日
 
  如行雅丈                          ばせを

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 大垣大火の見舞い状を門弟如行に書いたもの。如行の親しい者達、竹戸や梅丸などにもこの便で兼ねている。大垣大火は元禄元禄5年9月4日のことだった。