(貞亨2年3月26日 芭蕉42歳)
『野ざらし紀行』の旅の途次熱田から大垣にいる谷木因に宛てた手紙。この旅では、木因の人脈で実に様々な人々と交流が出来たこと、その謝意を旅の終わりにあたって表したかったのであろう。
方々一見仕候而、此度帰庵に及申候:<ほうぼういっけんつかまつりそうろうて、このたびきあんにおよびもうしそうろう>と読む。帰庵は江戸に帰ることだがここは未来形でこれから江戸へ出立するの意 。
当春無恙様に承及候而珍重奉存候:<とうしゅんつつがなきようにうけたまわりおよびそうろうてちんちょうにぞんじたてまつりそうろう>。お元気のようで何よりでございます、の意。
本当寺様:本統寺の誤記。東本願寺桑名別院として由緒正しい真宗寺院。
其外書事、少々紙せばく:<そのほかのこと、しょうしょうかみせばく>。他の話題については紙幅の関係で省略いたします、の意。
とう山公: 「とう」は口偏に「荅」。ここを参照。