徒然草(下)

第203段 勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、


 勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、知れる人なし*。主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる*。鞍馬に靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり。看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず*
 この事絶えて後、今の世には、封を著くることになりにけり*

勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、知れる人なし:<ちょくかんのところにゆ きかくるさほう、・・>と読む。勅勘を受けた家に「靫」を懸ける作法が今では絶えて、これを知っている人はいない。「勅勘」とは、天皇の不興をかってスポイルされること。勅勘を受けた人の家であることを示すために、門にかけるものを「靫<ゆぎ・ゆき・うつぼ>」という。矢を入れて肩にかける箱の形をしている。その結わえ方の作法が失われてしまったというのである。

主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる:天皇の病気・多くは世上騒乱の折などに、五条 (下京区天神町)にあった天神社に靫を懸けたものである。

看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず:<かどのおさのおいたるゆぎを・・>と読む。看督長(検非違使庁の下級役人で獄吏でもある)が靫を背負って勅勘の家に懸けると、その家にはもはや出入りはできなくなったのである。

この事絶えて後、今の世には、封を著くることになりにけり:こういうことが無くなってしまったので、今では封印をしてくるようになった。


 こんな風習は忘れてしまう方が健全ではないか?


 ちょくかんのところにゆきかくるさほう、いまはたえて、しれるひとなし。しゅじょうのごのう、おおかた、よのなかのさわがしきときは、ごじょうのてんじんにゆきをかけらる。くらまにゆ きのみょうじんというも、ゆきかけられたりけるかみなり。かどのおさのおいたるゆきをそのいえにかけられぬれば、ひといでいらず。
 このことたえてのち、いまのよには、ふうをつくることになりにけり。