徒然草(上)

第136段 医師篤成、故法皇の御前に候ひて、


 医師篤成*、故法皇の御前に候ひて*、供御の参りけるに*、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて*、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし*。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて*、「有房、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし*」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり*

医師篤成:<くすしあつしげ>、和気篤成、1322年、典薬頭に就任。以下はその頃の話。

故法皇の御前に候ひて:この法王は、後宇多法皇。

供御の参りけるに:法皇の食事が配膳されたとき、。

今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて:今配膳されましたお食事のさまざまについて、その文字と効能をお尋ねくだされば・・、。

本草に御覧じ合はせられ侍れかし:私の説明と、本草学の書物にある説明とが合っていることをお調べ下さって、。本草は本草学で薬学や鉱物学など。

六条故内府参り給ひて:六条有房(1251〜1319)。内大臣を歴任。教養人。

才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし:お前の才能の程度は十分に分かった。今はこの程度で十分で、これ以上聞く事はない。

どよみに成りて、罷り出でにけり:大笑いになって、篤成は退出した。シオの「偏は?」と聞かれたので篤成は「」ではなく「」と答えたのである。「鹽」なら「脚は?」と聞かれなければならなかったのだ。ただ、この時代にはシオは、鹽であって塩は薬草学の専門家しか使わなかったかもしれない。だから、みんな笑ったのではないか???


 「塩」の字について、兼好はどう思ってこの一文を書いたのか?????


 くすしあつしげ、こほうおうのごぜんにそうらいて、ぐごのまいりけるに、「いままいりはんべるぐごのいろいろを、もんじもくのうもたずねくだされて、そらにもうしは んべらば、ほんぞうにごらんじあわせられはんべれかし。ひとつももうしあやまりはんべらじ」ともうしけるときしも、ろくじょうのこだいふまいりたまいて、「ありふさ、ついでにものならいは んべらん」とて、「まず、『しほ』といふもんじは、いずれのへんにかはんべらん」ととわれたりけるに、「どへんにそうろう」ともうしたりければ、「ざえのほど、すでにあら われにたり。いまはさばかりにてそうらえ。ゆかしきところなし」ともうされけるに、どよみになりて、まかりいでにけり。