徒然草(上)

第132段 鳥羽の作道は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず


 鳥羽の作道は*、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。昔よりの名なり。元良親王*、元日の奏賀の声*、甚だ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部王の記に侍るとかや*

鳥羽の作道は:九条羅城門から上鳥羽を経て下鳥羽に続く直道。現在の国道一号線近傍で東寺付近から真南に抜ける道。これは鳥羽上皇の離宮の名をとったのではなくてそれ以前からあったのだということ。

元良親王陽成天皇の皇子、大声の持ち主だったのだろう。

元日の奏賀の声:新年に百官の年賀の挨拶が大極殿で行われるとき、その代表が天皇 に向かって祝辞を述べることを奏賀といった。

李部王の記に侍るとかや:李部王の記<りおうほうのき>。李部王とは、醍醐天皇の皇子で、式部卿重明親王(906〜954)で「記」は彼の日記。


 博学。


 とばのつくりみちは、とばどのたてられてのちのなにはあらず。むかしよりのななり。もとよしのしんのう、がんにちのそうがのこえ、はなはだしゅしょうにして、 だいこくでんよりとばのつくりみちまできこえけるよし、りほうおうのきにはんべるとかや。