徒然草(上)

第129段 顔回は、志、人に労を施さじとなり。


 顔回は*、志、人に労を施さじとなり*。すべて、人を苦しめ、物を虐ぐる事、賤しき民の志をも奪ふべからず*。また、いときなき子を賺し、威し、言ひ恥かしめて、興ずる事あり*。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど*、幼き心には、身に沁みて、恐ろしく、恥かしく、あさましき思ひ、まことに切なるべし。これを悩まして興ずる事、慈悲の心にあらず。おとなしき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる*

 身をやぶるよりも、心を傷ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし*。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少し。薬を飲みて汗を求むるには、験なきことあれども、一旦恥ぢ、恐るゝことあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて白頭の人と成りし例*、なきにあらず。

顔回字は子淵、顔淵とも。孔子の第一門弟といわれた孔門きっての秀才。32歳の若 さで死去(BC483)。

志、人に労を施さじとなり:『論語』公冶長26に、顔淵・季路侍<じ>す。子の曰わく、盍<なん>ぞ各々爾<なんじ>の志しを言わざる。子路が曰わく、願わくは車馬衣裘<いきゅう>、朋友と共にし、これを敝<やぶ>るとも憾<うら>み無けん。顔淵の曰わく、願わくは善に伐<ほこ>ること無く、労を施すこと無けん。子路が曰わく、願わくは子の志しを聞かん。子の曰わく、老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐<なつ>けん。

物を虐ぐる事:<ものをしえたぐること>と読む。他人をいじめること。

人を苦しめ、物を虐ぐる事、賤しき民の志をも奪ふべからず:<・・、ものをしえたぐること、いやしきたみのこころざしをも・・>と読む。人を苦しめたり、物を虐げたりすることがあるが、下々の民の志までも奪うことはあってはならぬ 。

いときなき子を賺し、威し、言ひ恥かしめて、興ずる事あり:幼い子供をおだてたり、おどしたり、はずかしめたりして、面白がることがあるが、いけないことだ。

おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど:成人は、そんなことは本当ではないので、大した事とは思わないが、の意。

皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる:(喜びだの楽しみだのと)大人たちだって、本来は虚構にもかかわらず、それらが本当の事のように執着しているのだ 。万事は「一切皆空」なのだが。。。

人を害ふ事なほ甚だし:<ひとをそこなうことはなはだし>。肉体を害するよりも、精神をいたぶる方がはるかに人を害することになるのだ。

凌雲の額を書きて白頭の人と成りし例:<りょううんのがくをかきてはくとうのひととなりしれい>。「凌雲の額」は、以下のような故事がある。凌雲は中国、魏の文帝が洛陽に築かせた楼閣。額に凌雲観と書かせるため書家を楼上に登らせたが、恐怖のため下りてきたときには頭髪が雪のように白くなっていたという(『大字林』より)。精神が肉体にいかに大きな影響を及ぼすかという例としてあげた。


 「身をやぶるよりも、心を傷ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし」この時代に、こういう発言は他に例がないだろうと思われる。


 がんかいは、こころざし、ひとにろうをほどこさじとなり。すべて、ひとをくるしめ、ものをしえたぐること、いやしきたみのこころざしをもうばうべからず。また、いときなきこをすかし、おどし、いいはずかしめて、きょうずることあり。おとなしきひとは、まことならねば、ことにもあらずおもえど、おさなきこころには、みにしみて、おそろしく、はずかしく、あさましきおもい、まことにせつなるべし。これをなやましてきょうずること、じひのこころにあらず。おとなしきひとの、よろこび、いかり、かなしび、たのしぶも、みなこもうなれども、だれかじつうのそうにぢゃくせざる。

 みをやぶるよりも、こころをいたましむるは、ひとをそこなうことなほはなはだし。やまいをうくることも、おおくはこころよりうく。ほかよりくるやまいはすくなし。くすりをのみてあせをもとむるには、しるしなきことあれども、いったんはじ、おそるゝことあれば、かならずあせをながすは、こころのしわざなりということをしるべし。りょううんのがくをかきてはくとうのひととなりし ためし、なきにあらず。