雅房大納言*は、才賢く、よき人にて、大将にもなさばやと思しける比*、院の近習なる人、「たゞ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻の穴より見侍りつ*」と申されけるに、うとましく、憎く思しめして、日来の御気色も違ひ、昇進もし給はざりけり*。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり*。虚言は不便なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり*。
大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり*。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、嫉み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし*。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。
すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず*。
雅房大納言:土御門雅房(1262〜1302)、1295年より権大納言。
大将にもなさばやと思しける比:「大将」は、近衛の大将のこと。雅房を大将にしたいと思ったのは 亀山法皇。以下の、密告のやり取りも法皇と近習の者の間の会話。
中墻の穴より見侍りつ:<なかがきのあなよりみはべりつ>と読む。「中垣」は隣の家との間の垣根 。
うとましく、憎く思しめして、日来の御気色も違ひ、昇進もし給はざりけり:ここは、法皇の感情を記述した部分。大納言をうとましく・にくく思い、それまでのような気持ちを寄せることも無く、大将に昇進させるなどということもなかった。
さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり:雅房ほどの 立派な人が鷹を持っていたとは意想外のことだったが、それにしても生きている犬の足を切って鷹に食わせたなどの密告は証拠の無いことであった。
虚言は不便なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり:虚偽の情報は雅房卿には気の毒だが、それにしてもこのようなことを聞いて怒る上皇の動物愛護の心は尊いことだ。
畜生残害の類なり:<ちくしょうさんがいなり>。お互いを傷つ け合う犬畜生と同じ。
偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし:鳥獣は無知ゆえに、人間より本能に忠実でよく見える。
一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず:「有情」は神の創造物の意で生き物の総称。これに慈悲の心を持たないのは、人の道に反する。
「一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず」が結論。
まさふさのだいなごんは、ざえかしこく、よきひとにて、たいしょうにもなさばやとおぼしけるころ、いんのきんじゅなるひと、「ただいま、あさましきことをみはんべりつ」ともうされければ、「なにごとぞ」ととわせたまいけるに、「まさふさきょう、たかにかわんとて、いきたるいぬのあしをきりはんべりつるを、なかがきのあなよりみはんべりつ」ともうされけるに、うとましく、にくくおぼしめして、ほごろのみけしきもたがい、しょうじんもしたまわざりけり。さばかりのひと、たかをもたれたりけるはおもわずなれど、いぬのあしはあとなきことなり。そらごとはふびんなれども、か かることをきかせたまいて、にくませたまいけるきみのみこころは、いととうときことなり。
おおかた、いけるものをころし、いため、たたかわしめて、あそびたのしまんひとは、ちくしょうさんがいのたぐいなり。よろずのとりけだもの、ちいさきむしまでも、こころをとめてありさまをみるに、こをおもい、おやをなつかしくし、ふうふをともない、ねたみ、いかり、よくおおく、みをあいし、いのちをおしめること、ひとえにぐちなるゆえに、ひとよりもまさりてはなはだし。かれにくるしみをあたえ、いのちをうばわんこと、いかでかいたましからざらん。
すべて、いっさいのうじょうをみて、じひのこころなからんは、じんりんにあらず。