徒然草(上)

第125段 人におくれて、四十九日の仏事に、或聖を請じ侍りしに 、


 人におくれて*、四十九日の仏事に、或聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、皆人涙を流しけり。導師帰りて後、聴聞の人ども、「いつよりも、殊に今日は尊く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事に、或者の云はく、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなん上は*」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。さる、導師の讃めやうやはあるべき*
 また、「人に酒勧むるとて、己れ先づたべて*、人に強ひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方に刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を斬る故に、人をばえ斬らぬなり*。己れ先づ酔ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき*

人におくれて:ある人に先立たれて、の意。兼好の知人が死んだのであろう。

何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなん上は:なんと申しましても、あの僧侶のお姿はまるで中国から来た犬のようにすばらしくて、私はお姿に感銘しました。こんなことを言うから、作者は「あはれもさめて、をかしかりけり。」であった。

さる、導師の讃めやうやはあるべき:中国の犬に似ているから感銘したなどと、聖を褒めるに事欠いて、そんな褒め方があるものでしょうか。上で僧侶をほめた人は本気でそう言ったのだろうが、兼好としてはどうもそのほめ方が気に入らなかったのである。

人に酒勧むるとて、己れ先づたべて:他人に酒を飲ませようとするときに、まず自分が先に飲んで・・。この発言も、上の「唐の狗」発言の参会者のものである。兼好はこのお方を好きではないらしい。

二方に刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を斬る故に、人をばえ斬らぬなり:剣でも両羽の剣ならば、剣を持ち上げたときに自分の頭を切ってしまうので、人を切る前に自分が死んでしまう。それと同じで、他人に酒を勧めるに自分が先に飲んでしまったら、酔っ払ってしまって寝てしまうだろう。そうしたら、他人は酒を飲むことなどありえないではないか、というのである。

剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき:とまあ、おしゃべりな法事の参会者だが、自分でも剣で人を斬ったことがあるとでも言うのだろうか?どうもとんちんかんのような気がするが・・。


 場の雰囲気を破壊する人物というものは必ず居るもの。無神経で独りよがりで無教養で、という三重苦にあえぐ人が。


 ひとにおくれて、しじゅうくにちのぶつじに、あるひじりをしょうじはんべりしに、せっぽういみじくして、みなひとなみだをながしけり。どうしかえりてのち、ちょうもんのひとども、「いつよりも、ことにきょうはとうとくおぼえは んべりつる」とかんじあえりしかえりごとに、あるもののいわく、「なんともそうらえ、あれほどからのいぬににそうらいなんうえは」といいたりしに、あわれもさめて、おかしかりけり。さる、どうしの ほめようやはあるべき。
 また、「ひとにさけすすむるとて、おのれまづたべて、ひとにしいたてまつらんとするは、けんにてひとをきらんとするににたることなり。ふたかたにはつきたるものなれば、もたぐるとき、まづわが かしらをきるゆえに、ひとをばえきらぬなり。おのれまづよいてふしなば、ひとはよもめさじ」ともうしき。けんにてきりこころみたりけるにや。いとをかしかりき。