徒然草(上)

第116段 寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、


 寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり*。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる*、いとむつかし*。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

 何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ*

寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり:寺院の名前(寺名・山号・院号など)に限らず、その他なんでもつける名前を昔の人は、少しも思案などしないで、ありのままに簡単につけたものだ 。

才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる:名付けた者の才能が高いと思わせるようと意図している。

いとむつかし嫌味なものだ、の意。

何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ:珍奇なことやめずらしい異説を好むのは、教養の無いものに限ってやることだよ。


 近頃、子供の名前などをみると、実に意味不明、もしくは明らかに名前には相応しくない珍奇なものつけて得意になっている親がいるようだが、これは「浅才の人の必ずある事なり」とぞというわけだったのだ。


 じいんのごう、さらぬよろずのものにも、なをつくること、むかしのひとは、すこしももとめず、ただ、ありのままに、やすくつけけるなり。このころは、ふかくあんじ、さいかくをあらわさんとしたる ようにきこゆる、いとむつかし。ひとのなも、めなれれぬもんじをつかんとする、えきなきことなり。

 なにごとも、めずらしきことをもとめ、いせつをこのむは、せんざいのひとのかならずあることなりとぞ。