徒然草(上)

第33段 今の内裏作り出されて


 今の内裏作り出されて*、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて*、既に遷幸の日近く成りけるに*、玄輝門院の御覧じて*、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」*と仰せられける、いみじかりけり。

 これは、葉の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり*

今の内裏作り出されて:この内裏は、花園天皇の二条富小路内裏。1317年造営、同年4月19日遷幸、1336年消失 した。

有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて:有職の専門家に見せたら、すべて適合していると判断されたのだが、。「有職」は、朝廷や公家の儀式・行事・官職などに関する知識。また、それに詳しい人(『大字林』より)。

既に遷幸の日近く成りけるに:「遷幸」は天皇が他の場所や施設建物に引越すこと。遷都などもこれに入る。 ここでは、「今の内裏」に入ること。

玄輝門院の御覧じて:<げんきもんいんのご らんじて>と読む。玄輝門院は花園天皇の祖母にあたる人で、後深草天皇の妻で、伏見天皇の母、藤原愔子<いんし>。彼女が少女時代には、閑院殿が残っていて、その記憶があったということ。

「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」:閑院内裏は平安朝の平家や後白河など天皇制の隆盛時代の建物であった。その建物の櫛形の窓は、円形だったという。また、窓に縁も無かった。玄輝門院はこういう記憶を語ったのである。

これは、葉の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり:「これは」は、冒頭の今の内裏のこと。葉<よう>は切り込みのこと。葉が入っていて、木で縁を取っているから、元のものと違っているとして、結局、つくりかえた というのだ。


 生き証人というものの存在は実に貴重だという話。


 いまのだいりつくりいだされて、ゆうしょくのひとびとにみせられけるに、いづくもなんなしとて、すでにせんこうのひちかくなりけるに、げんきもんいんのご らんじて、「かんいんどののくしがたのあなは、まるく、ふちもなくてぞありし」とおおせられける、いみじかりけり。

 これは、ようのいりて、きにてふちをしたりければ、あやまりにて、なおされにけり。