いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ*。
そのわたり、こゝかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜に忘るな」*など言ひやるこそをかしけれ。
さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ*。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ*。寺・社などに忍びて籠りたるもをかし*。
いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ :何処でもよい、旅先にいると、まことに新鮮な気持ちになるものだ。「旅立ち」は現代語の旅行に出発することではなく、旅に立っていること。
「その事、かの事、便宜に忘るな」:旅先から留守宅へ手紙を書いて、あれこれと指図すること。「その事も、あの事も、うまくやっておけ」などと書いてやるのは、面白い。 「便宜<びんぎ>に」は、タイムリーに、の意。
さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ:さまざまな解釈があるがピンとこない。一応、旅先の田舎のような所にいる時ほど、万事に心配りをするものだ、と解釈しておく。
持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ:持参した調度類もよいものは都にいるときよりこれがよく見える。また、 芸達者な人や、美貌に恵まれてかっこういい人は益々格好良く見える。
寺・社などに忍びて籠りたるもをかし:旅先の寺院や神社にこもってみるのなども良い。。
自分で食い物を取ったことのない人間のノー天気な旅行観を書いた一文である。 この時代、都人士、なかんずく貴族階級にとっては「京のならひ、なにわざにつけてもみなもとは田舎をこそ頼めるに、・・」(『方丈記』)という状態であった。すなわち、すべての物資は都の外の荘園に依存していたのであって、一歩京の都を外にすれば、そこは生きる糧を作る場所だったのである。
いずくにもあれ、しばしたびだちちたるこそ、めさむるここちすれ。
そのわたり、こゝかしこみありき、いなかびたるところ、やまざとなどは、いとめなれぬことのみぞおおかる。みやこへたよりもとめてふみやる、「そのこと、かのこと、びんぎにわするな」などいいやるこそ おかしけれ。
さようのところにてこそ、よろずにこころづかいせらるれ。もてるちょうどまで、よきはよく、のうあるひと、かたちよきひとも、つねよりはおかしとこそみゆれ。
てら・ やしろなどにしのびてこもりたるもおかし。