芭蕉db

伊賀新大仏寺之記

( 貞亨5年3月ごろ:45歳)

文集へ 年表へ


 伊賀の国阿波の庄に新大仏といふあり。 此ところはならの都東大寺のひじり俊乗上人の旧跡なり。ことし旧里に年をこえて、旧友宗七。宗七・宋無ひとりふたりさそひ物して、かの地に至る。仁王門・撞楼のあとは枯たる草のそこにかくれて、「松のいはヾ事とハむ石居ばかりにすミれのミして」云けむも、かゝるけしきに似たらむ。なを分いりて、蓮華台・獅子の座なんどは、いまだ苔のあとをのこせり。御仏ハしりへなる岩窟にたゝまれて、霜に朽苔に埋れてわづかに見えさ玉ふに、御ぐし斗ハいまだつゝがもなく、 上人の御影をあがめ置たる草堂のかたはらに安置したり。誠にこゝらの人の力をついやし、上人の貴願いたずらになり侍ることもかなしく、涙もおちて談もなく、むなしき石台にぬかづきて、
 

丈六に陽炎高し石の上  ばせを

( じょうろくに かげろうたかし いしのうえ)


笈の小文』 の詳細。