芭蕉db

笈の小文

(桜)


狩りきどくや日々に五里六里

(さくらがり きどくやひびに ごりろくり)

日は花に暮てさびしやあすなら ふ

(ひははなに くれてさびしや あすなろう)

扇にて酒くむかげやちる櫻

(おおぎにて さけくむかげや ちるさくら)


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表紙 年表


櫻狩り きどくや日々に五里六里

 西行への想いと分別しがたい桜見物であり、しかも最愛の弟子杜国も一緒となれば日に5里や6里は何のその。とはいえよくよく物好きなことではある。紀伊半島一帯は上下・南北に地形が入り組んで、おまけに豊富な樹種もあいまって桜の季節が長い。思う存分の桜見物であった。


奈良県五條市桜井寺にある句碑(牛久市森田武さん提供)

日は花に暮れてさびしやあすならう

 「あすなろう」は言うまでもなく翌檜のこと。明日は桧になろうと来る日も来る日も思いつづけて終に桧になれないというあの翌檜。こういう言い伝えは古く、すでに平安中期にも知られていたらしく、清少納言は、『枕草子』に「・・・・・なにの心ありてあすはひの木とつけけむ、あぢきなきかねごとなりや」と記している。
春の陽の下で爛漫と咲き誇り、人々に賞賛される桜。この季節世界は桜を中心に回る。かたやその華の影で薄暗く佇む翌檜。桜に浮かれている芭蕉の心に、ふとよぎった世捨て人たる自分に引き写した翌檜の悲しい想いではないか。
なお、この句は『笈日記』では、

さびしさや華のあたりのあすならふ

となっている。句としては推敲したこちらに軍配は上がるものの、感動を受けた直後の句に生生しさは横溢しているように思われる。

扇にて酒くむかげや ちる櫻

 爛漫の桜の木の下で、興のおもむくままに謡曲の一節を舞ってみた。扇子を大杯に見立ててグイッと飲み干してみれば、そこへ一陣の風に舞う花びらが散り込んで、なみなみ注いだ酒杯に浮ぶ。