芭蕉db
   美濃の国朝長の墓にて

苔埋む蔦のうつつの念仏哉

(花の市)

(こけうずむ つたのうつつの ねんぶつかな)

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 貞亨元年。『野ざらし紀行』の途次、「義朝の心に似たり秋の風」と詠んだ折。義朝の次男朝長の悲劇を思い出して一句。
 ところで、源朝長は義朝の次男(頼朝のすぐ上の兄)、平治の乱に破れて東国に落ちのびる父にしたがって青墓の宿(現岐阜県大垣市赤坂町)まで来たが、比叡山の宗徒に襲撃された深手が悪化してこの地で動けなくなり、敵に切られるよりはとして、父の手にかかって自害する。ここで死にあたって朝長は念仏を唱えたと平家物語にある。享年16歳。その義朝も、この先尾張にて追手に殺害されることになる。

苔埋む蔦のうつつの念仏哉

 蔦の巻いた青墓の朝長の墓前に立ってみると、墓石は苔むして訪れる人とて無い。しかし、墓前に立って悲運の将朝長のことを考えていると、朝長が唱える「南無阿弥陀仏」の称名念仏の声が秋風の音に混じって聞こえてくる。


岐阜県大垣市元円興寺の句碑と・・


朝長の墓。