芭蕉db
    贈洒堂
   湖水の磯を這ひ出でたる田螺一疋、
   芦間の蟹の鋏を恐れよ。牛にも馬
   にも踏まるる事なかれ

難波津や田螺の蓋も冬ごもり

(市の庵)

(なにわづや たにしのふたも ふゆごもり)

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 元禄6年10月。近江蕉門の洒堂はついに職業的俳諧師を志しこの年の夏、大坂に進出した。その洒堂へ贈ったこころづくしの句。前詞の「湖水の畦を這い出でた田螺」というのは、琵琶湖から出ていったこと、すなわち大津の膳所から出ていった洒堂をさす。
 芦間の蟹とは、大都会大坂に住む魑魅魍魎を指す のであろう。「魑魅魍魎」か否かは分からないが、実際、洒堂は大坂に出て、思いがけず同じ蕉門の兄弟弟子之道との間で角逐することになった。 その仲裁のために大坂入りした芭蕉はそこで客死したのである。
 「蟹の鋏」に鋏まれたのはほかならぬ芭蕉自身であった。

難波津や田螺の蓋も冬ごもり

 今は冬。洒堂が大坂に進出してから早半年が過ぎた。近江の田舎のタニシが大都会大坂に出て辛酸を舐めていることであろう。幸い冬の候。その蓋を閉めてのんびりと冬籠りと決め込んだら良かろう。
 「
牛の子に踏まるな庭の蝸牛角あればとて身をな頼みそ」(『夫木和歌抄』)を引用している。