芭蕉db

景清も花見の座には七兵衛

(真蹟扇面)

(かげきよも はなみのざには しちびょうえ)

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 貞亨元年(41歳)頃から死の元禄7年(51歳)までの間。『蕉翁句集』では貞亨5年に置くが定かではない。
 この時期の詳細制作年次不明のものとして、58句がある。

景清も花見の座には七兵衛

 めっぽう強い平家の武将平景清はその名も悪七兵衛。「悪」は武勇に強い者への賞賛を含意する。しかし、花見の時には悪の字が取れて七兵衛になるのだろう。さあ、みなさん無礼講で花見と行こうじゃないか。平景清は
 壇ノ浦の合戦での平家敗北の後も生き延びて後、その仇とする源頼朝の復讐を企図するも失敗、以後、源氏の世を見たくないとして両眼をくり抜いたと言われている(落語「景清」など)。