芭蕉db
   深川閉関の頃

蕣や是も又我が友ならず

(今日の昔)

(あさがおや これもまた わがともならず)

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 元禄6年7月。

蕣や是も又我が友ならず

 元禄7年夏、芭蕉は「閉関の説」を書いて門を閉じた。このときに読んだ句「朝顔や昼は錠おろす門の垣」では、朝顔は孤独を慰めてくれる唯一の話し相手であった。しかし、それもやがて深い孤独を慰めてくれるものとはならず、やはりわが友とはいかないのである。