夏の月の出ている時間の短さは、なんと御油から赤坂の間を過ぎる時間に過ぎない。
あるいは、夏の月は暮れ方にはお湯から上がってきたようにぼーっとして、最後には明け方に赤くなって消えていく。これは、御油から赤坂だ。
こういう解釈なら貞門俳諧の域を出ないことになるが、談林俳会にそまっているこの時期の芭蕉であれば、この解釈は定型に過ぎるであろう。一句には、談林的軽妙洒脱さが込められていて、それはこの句調の韻律の妙なのではないか。
芥川龍之介は『芭蕉雑記』に「耳」として、次のように書いている。少し長いが名文なので引用する。
「芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけぬのは残念である。もし「調べ」の美しさに全然無頓着だつたとすれば、芭蕉の俳諧の美しさも殆ど半ばしかのみこめぬであらう。
俳諧は元来歌よりも「調べ」に乏しいものでもある。僅々十七字の活殺の中に「言葉の音楽」をも伝へることは大力量の人を待たなければならぬ。のみならず「調べ」にのみ執するのは俳諧の本道を失したものである。芭蕉の「調べ」を後にせよと云つたのはこの間の消息を語るものであらう。しかし芭蕉自身の俳諧は滅多に「調べ」を忘れたことはない。いや、時には一句の妙を「調べ」にのみ託したものさへある。
夏の月御油より出でて赤坂や
これは夏の月を写すために、「御油」「赤坂」等の地名の与へる色彩の感じを用ひたものである。この手段は少しも珍らしいとは云はれぬ。寧ろ多少陳套の譏りを招きかねぬ技巧であらう。しかし耳に与へる効果は如何にも旅人の心らしい、悠々とした美しさに溢れてゐる。
年の市線香買ひに出でばやな
仮に「夏の月」の句をリブレツトオよりもスコアアのすぐれてゐる句とするならば、この句の如きは両者ともに傑出したものの一例である。年の市に線香を買ひに出るのは物寂びたとは云ふものの、懐しい気もちにも違ひない。その上「出でばやな」とはずみかけた調子は、宛然<えんぜん>芭蕉その人の心の小躍りを見るやうである。更に又下の句などを見れば、芭蕉の「調べ」を駆使するのに大自在を極めてゐたことには呆気にとられてしまふ外はない。
秋ふかき隣は何をする人ぞ
かう云ふ荘重の「調べ」を捉へ得たものは茫々たる三百年間にたつた芭蕉一人である。芭蕉は子弟を訓へるのに「俳諧は万葉集の心なり」と云つた。この言葉は少しも大風呂敷ではない。芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけねばならぬ所以である。」
宝飯郡音羽町赤坂関川神社の句碑(牛久市森田武さん撮影)