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猪のねに行かたや明の月 去來此句を窺ふ時、先師暫く吟て兎角をのたまハず*。予思ひ誤るハ、先師といへども歸り待よご引ころの氣色しり給はずやと、しかじかのよしを申*。先師曰、そのおもしろき處 ハ、古人もよく知れバ、帰るとて野べより山へ入鹿の跡吹おくる荻の上風とハよめり*。和哥優美の上にさへ、かく迄かけり作したるを、俳諧自由の上にたゞ尋常の氣色を作せんハ、手柄なかるべし。一句おもしろけれバ暫く案じぬれど、兎角詮なかるべしと也*。其後おもふに、此句ハ、時鳥鳴きつるかたといへる後京極の和哥の同案にて、彌々手柄なき句也*。
此句を窺ふ時、先師暫く吟て兎角をのたまハず :<このくをうかがうとき、せんししばらくぎんじてとかくをのたまわず>。この句を芭蕉に批評してもらうために見せたときに、師匠はこれを読んでから何も言わなくなってしまった。
予思ひ誤るハ、先師といへども歸り待よご引ころの氣色しり給はずやと、しかじかのよしを申:ここに、「よご引き」は「夜興引き」のことで、冬の夜間、山中で猟をすること。また、その人(『大辞林』)。つまり夜通し待って夜行性のイノシシが自分の巣に帰ってくるのを待ち伏せしている猟師の気分というのは芭蕉には分からないだろうと、そんなことを申上げてしまった。これは私の思い違いでした。
帰るとて野べより山へ入鹿の跡吹おくる荻の上風とハよめり:
一句おもしろけれバ暫く案じぬれど、兎角詮なかるべしと也:この句が面白ければ暫く考えても見ようと思ったが、どうしようもないものなので手の加えようが無い、の意。
此句ハ、時鳥鳴きつるかたといへる後京極の和哥の同案にて、彌々手柄なき句也:後から振り返ってみればこの句はただ、後徳大寺左大臣藤原実定の歌「時鳥なきつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる」(『千載集巻3』)と同案であって、手柄などと言えたものではないことがよく分かった。