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時雨るゝや紅粉の小袖を吹きかへし
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時雨るゝや紅粉の小袖を吹きかへし 去來
正秀曰、いとに寄のたぐひ、去來一生の句くずなり*。去來曰、正秀が評、いまだ解し得ず。予ハたゞ時雨もてくるあらしの路上に、紅粉の小袖吹かへしたるけしき、紅葉落おろす山おろしの風ト、ながめたる上の俳諧なるべしと作し侍るのミ也*。
- 正秀曰、いとに寄のたぐひ、去來一生の句くずなり
:正秀が、「糸に寄る」と言ったのは、古来貫之の歌について言われてきた評価用語で、その例が『徒然草』にもある。正秀も「句屑」とは言ったものである。
- 去來曰、正秀が評、いまだ解し得ず。予ハたゞ時雨もてくるあらしの路上に、紅粉の小袖吹かへしたるけしき、紅葉落おろす山おろしの風ト、ながめたる上の俳諧なるべしと作し侍るのミ也:「紅粉の小袖<べにのこそで>」を着た女性の裾を時雨と一緒にやって来た一陣の風が真っ赤にまくっていく。その様は、北風が紅葉を吹き落としていく様子と同じだと、吟詠したまでで、「句屑」とまで非難されるには当たらないと思うけれど。正秀の論拠を聞きたいが・・・