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蕣の裏を見せけり秋の風
蕣の裏を見せけり秋の風
- 一説曰、
此句 先師の葛葉 の面 みせけりと等類也 : ここにいう芭蕉句は「 葛の葉の面見せけり今朝の霜」で、これと同じではないかという説が横行しているが・・・。 許六 曰、等類にあらず。みせけりとは詞 のむすび迄 なり :許六は同類ではない。「みせけり」というが見せているものの意味が違う。芭蕉はこの句に嵐雪が反抗して蕉門から出て行った後で詫びを入れたその姿を描いたもの、この句は、アサガオのはかなさを描いたもので、「みせけり」といいながら見せているものが根本的に違う。 - 去来曰、等類とは
謂 がたし。同竈 の句なるべし:去来は、これは等類と言わないで、同竈<どうそう>と言えばよいのだ。何だか分かったような分からないような表現。そこで、・・・ - たとへば和歌には花さかぬ
常盤 の山の鶯は己 なきてや春をしるらんと云 に、紅葉せぬトキハ山のサホ鹿は己なきてや秋を知るらんトよみても等類にはならざるよし :「花さかぬ常盤 の山の鶯は己 なきてや春をしるらん」という歌と、「紅葉せぬトキハ山のサホ鹿は己なきてや秋を知るらん」は等類ではないというのだから、こういうのは「同竈」と言うのだろう。俳諧ではほめられないことだ。