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門口や牛玉めくれてはつしぐれ
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門口や牛玉めくれてはつしぐれ 作者不覺
去來曰
、此句彦根より見せられたるに、其角がよろほうしの門札の句と等類ト評しぬ*。予はナはだ誤なり。その比ハ少似たる事もけはしく嫌ひのぞきて、一句の惣體をしらず。門と云ひ札といふにて、はや等類の評をなせり*。いとあさまし。
- 門口や牛玉めくれてはつしぐれ:<よろほうしごおうめくれてはつしぐれ>。牛玉<ごおう>は牛王宝印<ごおうほういん>のこと。神社・寺から出す刷り物の守り札で、「牛王宝印」「牛玉宝印」などと書いてあるもの。災難よけに身につけ、また門口にはる。中世以降は、裏に起請文を書く用紙として広く使用された。熊野・手向山八幡宮・八坂神社・高野山・東大寺・法隆寺などで出したが、紀州の熊野神社で出すものは特に有名(『大辞林』)。一句は、単純だから説明の必要は無いだろう。ただし、作者不覚としているのは本文と合わないが、許六が作ったのではなく、許六の伝聞としたということであろう。なお、この句については芭蕉句「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」との類似性の方が高かった。
- 去來曰
、此句彦根より見せられたるに、其角がよろほうしの門札の句と等類ト評しぬ。:この句を許六が見せたときには、これは其角の句「弱法師わが門ゆるせ餅の札<よろぼうしわがかどゆるせもちのふだ>」の「等類」だと言って非難した。
- 予はナはだ誤なり。その比ハ少似たる事もけはしく嫌ひのぞきて、一句の惣體をしらず。門と云ひ札といふにて、はや等類の評をなせり:この私の見解はひどい間違いだった。あの頃は少し似ていても厳しく嫌悪して、一句の総体を評価するということが無く、「門」とか「札」などの言葉があるだけで「贋作」の烙印を押したもだった。