芭蕉db

羽紅宛書簡

(元禄4年9月12日 芭蕉48歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


御文、ことにこしあてのわた*、みづから御とゝのへおくり被下、御心ざしと申、かれこれあさからざる御事、忝ぞんじまいらせそろ。菊にこそきせ作る折しもなるにと*
 

初しもやきくひえそむるこしのわた

 
やがてのぼり候而御礼御申まいらせそろ。さいどの*、おとなしく御なり候はんとぞんじまいらせそろ。めでたくかしこ。
 
     九月十二日                ばせを
 
なをなをずいぶん御そく才に御まかりなされくださるべく候。
智月へ御ことづて、忝がられ候。しほらしき御心ざし、かへすがへすにて候。智月もかんじ入被申候。

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 膳所の義仲寺から京都凡兆の妻羽紅(おとめ)宛ての書簡。羽紅が手紙と腰当ての綿を贈ってくれたことへの礼状。また、彼女が乙州の姉(母)智月にも何かメッセージを送ったのであろう。その、智月からの言伝などを書く。

 芭蕉は、この直後に上京して、そこから『奥の細道』以来の江戸下向に出立することになる。