切除されて、おそらく売買されたのであろう伊賀上野の猿雖宛書簡の部分。気候の挨拶だけだだが、これ以外に桃印の顛末などを報告したのであろう。又そのことについてより詳細な内情を土芳に話す必要もあったらしいことが伺える。
追より書付可レ申候:落字あり。「追而、後より書付候」などか?。
土芳子へ返状遣し度候へ共:土芳に返事を書かなくてはならないが少し長くならざるを得ないので後から書きます、の意 。土芳に会ったらそう伝えてもらいたいという気分も加えてあるのだろう。長文の手紙を書く気力もなかったのであろう。
東麓庵の芋の葉も日焼たるべく候:「東麓庵」は「西麓庵」と並んで猿雖の別業。二の名前は芭蕉が付けた。この年猛暑。芋の葉も日焼けしたことであろう。