徒然草(下)

第231段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり。


 園の別当入道は*、さうなき庖丁者なり。或人の許にて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけるを*、別当入道、さる人にて、「この程、百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。枉げて申し請けん*」とて切られける、いみじくつきづきしく*、興ありて人ども思へりけると、或人、北山太政入道殿に語り申されたりければ*、「かやうの事、己れはよにうるさく覚ゆるなり*。『切りぬべき人なくは、給べ。切らん*』と言ひたらんは、なほよかりなん。何条、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。

 大方、振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたる事なり*。客人の饗応なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて*、「これを奉らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ由して乞はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし*

園の別当入道は:藤原基氏(1212〜1282)。藤原道長の孫。若くして検非違使別当を歴任。24歳で世を捨て仏門に入る。料理に凝って料理の達人。

たやすくうち出でんもいかゞとためらひけるを:単刀直入に鯉を裂く ことを別当入道に頼むのもどうかと思って、。言わないでいたのである。すると、入道の方から、以下のような申し出があったのである。

この程、百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。枉げて申し請けん:この人は、大変気さくな人で、「このところ、百日連続して鯉を裂く練習を続けているのだが、今日それをやらないでいるのは具合が悪いので、ぜひその鯉を 切らせていただきたいものだ」と言って、鯉を切ったという。

いみじくつきづきしく:非常にその場に似つかわしくて、。

北山太政入道殿に語り申されたりければ:「北山太政入道殿」は、西園寺實兼

かやうの事、己れはよにうるさく覚ゆるなり:このような言い方は、わしにはうるさくてわずらわしく聞こえるねぇ。

切りぬべき人なくは、給べ。切らん:この鯉を切れる人がいないなら、私に下さい。私が切って進ぜよう、とでも言えばよいものを。

振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたる事なり:わざわざ趣向を凝らして面白がらせるよりも、そんなことなくて素直にやるのが勝るのである。

ついでなくて:きっかけなど無いままに、。

惜しむ由して乞はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし:やるのが惜しいような態度をとりながらそれでいて欲しいと言ってもらいたいと思っていたり、勝負に負けたからなどといって贈り物をするなどは、いかにもわざとらしくて嫌味なものだ。


 実に心理のヒダを突いた話である。


 そののべっとうにゅうどうは、そうなきほうちょうじゃなり。あるひとのもとにて、いみじきこいをいだしたりければ、みなひと、べっとうにゅうどうのほうちょうをみばやとおもえども、たやすくうちいでんもいか がとためらいけるを、べっとうにゅうどう、さるひとにて、「このほど、ひゃくにちのこいをきりはんべるを、きょうかきはんべるべきにあらず。まげてもうしうけん」とてきられける、いみじくつきづきしく、きょうありてひとどもおもえりけると、あるひと、きたやま のだいじょうにゅうどうどのにかたりもうされたりければ、「かようのこと、おのれはよにうるさくおぼゆるなり。『きりぬべきひとなくは、たべ。きらん』といいたらんは、なおよかりなん。なじょう、ひゃくにちのこいをきらんぞ」とのたまいたりし、おかしくおぼえしとひとのかたりたまいける、いとをかし。

 おおかた、ふるまいてきょうあるよりも、きょうなくてやすらかなるが、まさりたることなり。まれびとのきょうおうなども、ついでおかしきようにとりなしたるも、まことによけれども、た だ、そのこととなくてとりいでたる、いとよし。ひとにものをとらせたるも、ついでなくて、「これをたてまつらん」といいたる、まことのこころざしなり。おしむよししてこわれんとおもい、しょうぶのまけわざにことづけなどしたる、むつかし。