徒然草(下)

第222段 竹谷乗願房、東二乗院へ参られたりけるに、


 竹谷乗願房*、東二乗院へ参られたりけるに*、「亡者の追善には、何事か勝利多き*」と尋ねさせ給ひければ、「光明真言・宝篋印陀羅尼」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ*」と申しければ、「我が宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名を追福に修して巨益あるべしと説ける経文を見及ばねば*、何に見えたるぞと重ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経の確かなるにつきて*、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。

竹谷乗願房「竹谷」は京都山科にあった地名。現存しないが、醍醐陵の東の地という。「乗願房」は、浄土宗の僧侶。元来は仁和寺の僧侶で密教を学ぶ。

東二乗院へ参られたりけるに:「東二乗院<とうにじょういん>」は西園寺実氏のむすめで、後深草天皇の中宮公子。この話は入内前のもので、よって 乗願房が行ったのは西園寺邸であった。

亡者の追善には、何事か勝利多き:死者の追善には、どのお経が最善かと尋ねられた。東二乗院の質問である 。

光明真言・宝篋印陀羅尼:<こうみょうしんごん・ほうきょういんだらに>と答えたという。ここに「光明真言・宝篋印陀羅尼」は、いずれも真言密教のお経。

いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ:弟子たちのクレームである。なぜ、そんな回答をしたのですか、「南無阿弥陀仏」の念仏が一番と言わなかったのですか??、と。

称名を追福に修して巨益あるべしと説ける経文を見及ばねば:称名念仏が追善供養にご利益があるという経文が無いから、。しかし、東二乗院の重ねての質問で「何に見えたるぞ」(どういう出展があるのか?)、そう答えなくてはならなくなったということらしい。

本経の確かなるにつきて:真言・陀羅尼こそ、根拠となるお経と思ったので、の意。


 我田引水をしない人として、兼好は、この僧侶竹谷の乗願房のことを ここに紹介したのであろう。


 たけたにのじょうがんぼう、とうにじょうのいんへまいられたりけるに、「もうじゃのついぜんには、なにごとかしょうりおおき」とたずねさせたまいければ、「 こうみょうしんごん・ほうきょういんだらに」ともうされたりけるを、でしども、「いかにかくはもうしたまいけるぞ。ねんぶつにまさることそうろうまじとは、などもうしたまわぬぞ」ともうしければ、「わがしゅうなれば、さこそもうさまほしかりつれども、まさしく、しょうみょうをついふくにしゅしてこやくあるべしととけるきょうもんをみおよばねば、なににみえたるぞとかさねてとわせたまわば、いか がもうさんとおもいて、ほんぎょうのたしかなるにつきて、このしんごん・だらにをばもうしつるなり」とぞもうされける。