徒然草(下)

第205段 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、


 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり*。起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし*。古の聖代、すべて、起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代、この事流布したるなり。

 また、法令には、水火に穢れを立てず。入物には穢れあるべし*

比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり:比叡山延暦寺で、開祖伝教大師最澄の霊を勧請して、起請文を発するということは、天台座主慈恵 (じえ)僧正の時代から始まったことである。「勧請」は霊魂を要請すること、その権威に従って信用保証すること。「起請文」は、宣誓書。慈恵僧正は、第18代天台座主良源(912〜985)。良源は叡山中興の祖 といわれている。

起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし:起請文は法律に関しては全く見当たらない。

法令には、水火に穢れを立てず。入物には穢れあるべし:法令上、水や火は穢れの対象になっていない。容器には穢れの概念が付与されている。


 最後の一行の意味が不明??


 ひえのやまに、だいしかんじょうのきしょうということは、じえそうじょうかきはじめたまいけるなり。きしょうもんということ、ほうそうにはそのさたなし。いにしえのせいだい、すべて、きしょうもんにつきておこなわる るまつりごとはなきを、きんだい、このことるふしたるなり。

 また、ほうりょうには、すいかにけがれをたてず。いれものにはけがれあるべし。