徒然草(下)

第182段 四条大納言隆親卿、乾鮭と言ふものを供御に参らせられたりけるを、


 四条大納言隆親卿*、乾鮭と言ふものを供御に参らせられたりけるを*、「かくあやしき物、参る様あらじ」*と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚、参らぬ事にてあらんにこそあれ*、鮭の白乾し、何条事かあらん*。鮎の白乾しは参らぬかは」と申されけり。

四条大納言隆親卿:<しじょうのだいなごんたかちかきょう>。藤原隆親(1203〜1279)。大納言を歴任。この藤原家は包丁の家としても有名。

乾鮭と言ふものを供御に参らせられたりけるを:「乾鮭」は鮭を乾燥させたもの 、白干といって塩を無添加で乾燥させたもの。「供御」は天皇の食事。

「かくあやしき物、参る様あらじ」:「このように下品なものを帝にお出しするとは怪しからん」の意。当時、サケそのものは高級食材だったが、ここでは見たことの無い白干がいけなかったのであろう。

鮭といふ魚、参らぬ事にてあらんにこそあれ:鮭を、供御として出さないという事になっているというのなら、そうだろうが。何が悪いものかという反論をこめて。

鮭の白乾し、何条事かあらん:乾鮭は、鮎の白干しと同じでそのまま干し上げたもので、それは供御に入っているのだから、何の不都合があるものか!。  。


 乾鮭は、江戸時代になると貧しい食品の代表になっていく。


 しじょうのだいなごんたかちかのきょう、からざけというものをぐごにまいらせられたりけるを、「かくあやしきもの、まいるようあらじ」とひとのもうしけるをききて、 だいなごん、「さけといううお、まいらぬことにてあらんにこそあれ、さけのしらぼし、なじょうことかあらん。あゆのしらぼしはまいらぬかは」ともうされけり。