徒然草(下)

第152段 西大寺静然上人、腰屈まり、眉白く、


 西大寺静然上人*、腰屈まり、眉白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿*、「あな尊の気色や」とて、信仰の気色ありければ、資朝卿*、これを見て、「年の寄りたるに候ふ」と申されけり。

 後日に、尨犬のあさましく老いさらぼひて*、毛剥げたるを曳かせて、「この気色尊く見えて候ふ」とて、内府へ参らせられたりけるとぞ*

西大寺静然上人:<さいだいじにじょうえんしょうにん>。西大寺の長老良澄<りょうちょう>で1331年没。「西大寺」は、奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山。南都七大寺の一。山号は秋篠山。天平神護元年(765)称徳天皇の勅願により創建。開山は常騰<じようとう>。平安時代、災害により衰退したが、鎌倉時代に叡尊<えいぞん>が再興、戒律の根本道場となった。十二天画像・金光明最勝王経などの国宝があるほか、多数の文書を所蔵。高野寺<たかのでら>。四王院。

西園寺内大臣殿:西園寺実衡で西園寺実兼の嫡男。建治2年(1276)従三位。永仁6六年(1298)内大臣、正安元年(1299)右大臣。

資朝卿:日野資朝(1290〜1332)。鎌倉末期の公卿。後醍醐天皇に登用され、日野俊基らと討幕計画を進めたが、六波羅探題に探知されて、佐渡に配流(正中の変)。のち、1332年6月、佐渡で斬られた。享年43歳。(『大字林』より)。

尨犬のあさましく老いさらぼひて:<むくいぬ・・>。ただのムクイヌのすっかり年老いさらばえて、。

内府へ参らせられたりけるとぞ(日野資朝は「この犬が尊く見えることだと言って」)西園寺内大臣の 屋敷へムクイヌを差し上げた。「内府」は内大臣の唐名。


 日野資朝と西園寺実衡の間に確執があったのか?


 さいだいじのじょうねんしょうにん、こしかがまり、まゆしろく、まことにとくたけたるありさまにて、だいりへまいられたりけるを、さいおんじのないだいじんどの、「あなとうとのきしきや」とて、しんこうの きそくありければ、すけともきょう、これをみて、「としのよりたるにそうろう」ともうされけり。

 ごにちに、むくいぬのあさましくおいさらぼいて、けはげたるをひかせて、「このけしきとうとくみえてそうろう」とて、だいふへまいららせられたりけるとぞ。