徒然草(上)

第94段 常磐井相国、出仕し給ひけるに、


 常磐井相国*、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて*、馬より下りたりけるを、相国、後に、「北面某は、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき*」と申されければ、北面を放たれにけり。

 勅書を、馬の上ながら、捧げて見せ奉るべし、下るべからずとぞ。

常磐井相国:太政大臣西園寺実氏(1194〜1269) で1246年この役にあった。常盤井に邸宅があったのでこう呼ぶ。後深草天皇・亀山天皇の外祖父として並びなき権勢をもって君臨した。歌人でもある。

勅書を持ちたる北面あひ奉りて :<ちょくしょをもちたるほくめんあいたてまつりて>と読む。「勅書」は天皇が発する命令書 。「北面」は上皇の御所を警護する武士。昔、西行がその役であった。ここでは、常盤井の相国が出勤していったところ、勅書を持参した北面の武士に会った。しかし、この偉い太政大臣を見たので武士は馬から降りた。北面の武士が持っているところからこれは 「院宣」であろう。院宣というものほど訳の分からないものも無いのだが。。。

かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき:このような(有職故実に無智な)者を北面の武士として採用しておくわけにはいかない、。こう言って、馘にしてしまったのである。詔勅は律令国家の最高決定だから何人に対しても馬上から見せてよいのであった。


 「勅書を、馬の上ながら、捧げて見せ奉るべし、下るべからずとぞ。」。執務規定をよく読んでおくことが、今も昔も公務員の「いろは」であった。


 ときわいのしょうこく、しゅっししたまいけるに、ちょくしょをもちたるほくめんあいたてま つりて、うまよりおりたりけるを、しょうこく、のちに、「ほくめんなにがしは、ちょくしょをもちながらげばしはんべりしものなり。かほどのもの、いかでか、きみにつこうまつりそうろうべき」ともうされければ、ほくめんをはなたれにけり。

 ちょくしょをうまのうえながら、ささげてみせたてまつるべし、おるべからずとぞ。