徒然草(上)

第86段 惟継中納言は、風月の才に富める人なり。


 惟継中納言は*、風月の才に富める人なり*。一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに*、文保に三井寺焼かれし時*、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句なりけり*

惟継中納言は風月の才に富める人なり:<これつぐのちゅうなごん はふげつのざえにとめるひとなり>。と読む。平惟継。1330年に権中納言。歌人として有名。「風月の才」とは、ここでは漢詩を作る才能のこと。

法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに:「円伊」は天台宗の権僧正。歌人。惟継卿は彼と同門の弟子であったという。

文保に三井寺焼かれし時:三井寺は園城寺のこと。滋賀県大津市にある天台宗寺門派の総本山。山号は長等<ながら>山。奈良時代末ごろの創建。円珍が再興し、貞観八年(866)延暦寺の別院となったが、円仁門徒と対立した円珍門徒は正暦4年(993)当寺に拠って独立。延暦寺を「山門」「山」というのに対して「寺門」「寺」という。金堂・新羅善神堂・円珍像などは国宝(『大字林』参照)。文保3年(1319)、三井寺は比叡山の僧らによって焼き討ちされた。

いみじき秀句なりけり:実に気の利いた表現だ、の意


 親友は良いもんだ。クラスメートは良いもんだ。


 これつぐのちゅうなごんは、ふげつのざえにとめるひとなり。いっしょうしょうじんにて、どっきょううちして、てらぼうしのえんいそうじょうとどうしゅくしてはんべりけるに、ぶんぽうにみいでらやかれしとき、ぼうずにあいて、「ごぼうをばてらぼうしとこそもうしつれど、てらはなければ、いまよりはほうしとこそもうさめ」といわれけり。いみじきしゅうくなりけり。