徒然草(上)

第54段 御室にいみじき児のありけるを


 御室にいみじき児のありけるを*、いかで誘ひ出して遊ばんと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて*、風流の破子やうの物*、ねんごろにいとなみ出でて*、箱風情の物にしたゝめ入れて、双の岡の便よき所に埋み置きて*、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。

 うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて*、ありつる苔のむしろに並み居て*、「いたうこそ困じにたれ*」、「あはれ、紅葉を焼かん人もがな*」、「験あらん僧達、祈り試みられよ*」など言ひしろひて、埋みつる木の下に向きて、数珠おし摩り、印ことことしく結び出でなどして*、いらなくふるまひて*、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず*。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。埋みけるを人の見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて*、聞きにくゝいさかひ、腹立ちて帰りにけり。

 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり*

御室にいみじき児のありけるを:<おむろ>。これも仁和寺の別名として通用。 ただし、仁和寺は寺格が高く、法親王のご在所であったところから、文中にもあるように「御所」として扱われたところからこう呼ばれるようになった。

能あるあそび法師どもなどかたらひて:風流な芸達者の者達 などを仲間に組み入れて。「かたらひて」はゲームやプロジェクトに参加すること。

風流の破子やうの物:しゃれたわりごのようなもの。「破子」は、ヒノキの白木の薄板で折り箱のように作り、中に仕切りを設け、かぶせ蓋(ぶた)にした容器。弁当箱として用いた(『大字林』より)。

ねんごろにいとなみ出でて:丁寧に作って、。

箱風情の物にしたゝめ入れて、双の岡の便よき所に埋み置きて:破子を箱のようなものに詰めて、双の岡<ならびのおか>の都合のよいところへ埋めた。「双の岡」は、仁和寺の南側にある二つの岡から成る小山。 現隻ヶ岡。

うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて:僧侶たちは、うまいこと児子をだましてつれ出せたのでうれしくなったのである。児子がうれしがったのではない。

ありつる苔のむしろに並み居て:先ほどの破子を埋めた場所でコケの一面に生えた場所。そのコケの上にならんで座して。

いたうこそ困じにたれ:ひどくくたびれてしまった。

あはれ、紅葉を焼かん人もがな:ああ、誰かもみじを燃やして林間に酒を温めてくれる人でもいたらなぁ。

験あらん僧達、祈り試みられよ:霊験あらたかな僧侶なんだから、祈ってご馳走が出てくるように祈ってみてよ。こういって、祈れば、かねて埋めておいた料理が地面から出てくる寸法だったのであるが、、、。

数珠おし摩り、印ことことしく結び出でなどして:数珠をこすったり、印を結んだりしたのだ、

いらなくふるまひて:仰々しく振舞ってみたのだが。

つやつや物も見えず:全く見つからない。

あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり:あまり手の込んだことを計略すると、こういうように失敗するものだ 。

言の葉なくて:あまりの事態に言葉を失ってしまって、。


 「あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり」の一語に尽きる。仁和寺の僧侶たちの能無しぶりが、誇張をまじえてはいるのであろうが面白く書かれている。


 おむろにいみじきちごのありけるを、いかでさそいいだしてあそばんとたくらむほうしどもありて、のうあるあそびほうしどもなどかたらいて、ふうりゅうのわりごようのもの、ねんごろにいとなみいでて、はこふぜいのものにしたゝめいれて、ならびのおかのたよりよきところにうずみおきて、もみじちらしかけなど、おもいよらぬさまにして、ごしょへまいりて、ちごをそゝのかしいでにけり。

 うれしとおもいて、こゝ・かしこあそびめぐりて、ありつるこけのむしろになみいて、「いとうこそこうじにたれ」、「あわれ、もみじをやかんひともがな」、「げんあらんそうたち、いのりこころみられよ」などいいしろいて、う ずみつるきのしたにむきて、じゅずおしすり、いんことことしくむすびいでなどして、いらなくふるまいて、このはをかきのけたれど、つやつやものもみえず。ところのたがいたるにやとて、ほらぬところもなくやまをあされども、なかりけり。う ずみけるをひとのみおきて、ごしょへまいりたるまにぬすめるなりけり。ほうしども、ことのはなくて、ききにくゝいさかい、はらだちてかえりにけり。

 あまりにきょうあらんとすることは、かならずあいなきものなり。