徒然草(上)

第44段 あやしの竹の編戸の内より、


 あやしの竹の編戸の内より*、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫*、いとゆゑづきたるさまにて*、さゝやかなる童ひとりを具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる*、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに*、行かん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止みて、山のきはに惣門のある内に入りぬ*。榻に立てたる車の見ゆるも*、都よりは目止る心地して、下人に問へば、「しかしかの宮のおはします比にて、御仏事など候ふにや」と言ふ。

 御堂の方に法師ども参りたり。夜寒の風に誘はれくるそらだきものの匂ひも*、身に沁む心地す。寝殿より御堂の廊に通ふ女房の追風用意など*、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。

 心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋もれて、虫の音かごとがましく*、遣水の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来も速き心地して、月の晴れ曇る事定め難し。

あやしの竹の編戸の内より:粗末な竹の網戸の中から。「あやし」は粗末な、の意。

狩衣に濃き指貫:「狩衣<かりぎぬ>」は、古代・中世、公家が常用した略服。胡服(こふく)系の盤領(まるえり)で、前身頃(まえみごろ)と袖が離れており、袖口にくくりの緒がついている。布製であるところから布衣(ほうい)とよんだが、平安後期になると、野外の出行や院参に華麗な絹織物が使われるようになり、位階・年齢に相応したものを用いる慣習を生じた。。「指貫<さしぬき>」は袴(はかま)の一。括(くく)り緒の袴の系統で、裾口にひもをさし通し、着用の際に裾をくくって足首に結ぶもの。八幅(やの)の裾長を普通とし、略儀に用いる布製の袴の布袴(ほうこ)がのちに絹製となり、公卿は綾・固織物・浮織物を用いるのが例となった。指貫の袴。奴袴(ぬばかま)(以上『大字林』より)。

いとゆゑづきたるさまにて:何か由緒ある様子の、品のよい。

をえならず吹きすさびたる:笛を実に上手に吹いて、。

あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに:この笛の音をすばらしいと聞く人もないと思われるのに。

山のきはに惣門のある内に入りぬ:山際の惣門の有る家に入っていった。「惣門」はハイクラスの屋敷の大きな門のこと。

榻に立てたる車の見ゆるも:「榻<しじ>」とは、牛車(ぎつしや)から牛を外したとき、車の轅(ながえ)の軛(くびき)を支え、乗り降りに際しては踏み台とする台。形は机に似て、鷺足(さぎあし)をつけ、黒漆塗りにして金具を施す(『大字林』より)。榻をその側においてある牛車の見えるのも、。

夜寒の風に誘はれくるそらだきものの匂ひも:夜の風に乗ってにおってくる薫物。

女房の追風用意など:女性たちの薫物の匂いのこと。

虫の音かごとがましく:「かごと」は、恨み嘆いて言うようすがありありと感じられる。虫の鳴き声をぐちめいている、と表現した


 この段は、実に美しい名文である。


 あやしのたけのあみどのうちより、いとわかきおとこの、つきかげにいろあいさだかならねど、つや やかなるかりぎぬにこきさしぬき、いとゆえづきたるさまにて、ささやかなるわらわひとりをぐして、はるかかなるたのなかのほそみちを、いなばのつゆにそぼちつつわけゆくほど、ふえをえならずふきすさびたる、あわれとききしるべきひともあらじとおもうに、いかんかたしらまほしくて、みおくりつゝいけば、ふ えをふきやみて、やまのきわにそうもんのあるうちにいりぬ。しじにたてたるくるまのみゆるも、みやこよりはめとまるここちして、げにんにとえば、「しかしかのみやのおはしますころにて、 ごぶつじなどそうろうにや」という。

 みどうのかたにほうしどもまいりたり。よさむのかぜにさそわれくるそらだきもののにおいも、みにしむここちす。しんでんよりみどうのろうにかようにょうぼうのおいかぜよういなど、ひとめなきやまざとともいわず、こころづかいしたり。

 こころのままにしげれるあきののらは、おきあまるつゆにうもれて、むしのねかごとがましく、やりみずのおとのどやかなり。みやこのそらよりはくものゆききもはやきここちして、 つきのはれくもることさだめがたしし。