徒然草(上)

第42段 唐橋中将といふ人の子に、


 唐橋中将といふ人の子に*、行雅僧都とて*、教相の人の師する僧ありけり*。気の上る病ありて*、年のやうやう闌くる程に*、鼻の中ふたがりて、息も出で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ*、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが*、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠りゐて*、年久しくありて、なほわづらはしくなりて*、死ににけり。

 かゝる病もある事にこそありけれ。

唐橋中将といふ人の子に:唐橋家は村上源氏に血を引く名門。

行雅僧都とて:不詳。ただし、僧都は僧綱 <そうごう>の一。僧正に次ぐ地位で、のちに大僧都・権大僧都・少僧都・権少僧都の四階級に分かれた。

教相の人の師する僧ありけり: 行雅僧都は、教相を専門とする僧侶たちを教え指導する僧侶。「教相」とは、真言密教で、実践的な修行に対して、教義を理論的に研究する面。

気の上る病ありて:どういう病気なのか?上せるらしいが。

年のやうやう闌くる程に:年を取るにつれて。「闌ける<たける>」は経過すること。

うちおほひければ:覆いかぶさってきたので。

二の舞の面のやうに見えけるが:「二の舞」は雅楽。唐楽。壱越 <いちこつ>調で古楽の中曲。舞は二人。「安摩<あま>」に引き続いて、それを見ていた咲面<えみめん>の老爺と腫面はれめん >の老婆が、安摩の舞をまねてこっけいに舞う。「安摩」の答舞。(『大字林』より)。

坊の内の人にも見えず籠りゐて:僧坊の中の人々にも面会謝絶して籠もっていたが、。

なほわづらはしくなりて:いっそう病気が悪化して。


 辛い病気があるものだ。


 からはしのちゅうじょうというひとのこに、ぎょうがそうずとて、きょうそうのひとのしするそうありけり。けのあがるやまいありて、としのようようたくるほどに、はなのなかふたがりて、いきもいでがたかりければ、さまざまにつくろいけれど、わづらはしくなりて、め・まゆ・ひたいなどもはれまどいて、うちお おいければ、ものもみえず、にのまいのおもてのようにみえけるが、たゞおそろしく、おにのかおになりて、めはいただきのかたにつき、ひたいのほどはなになりなどして、のちは、ぼうのうちのひとにもみえずこもりいて、としひさしくありて、なおわづらはしくなりて、しににけり。

 かゝるやまいもあることにこそありけれ。