徒然草(上)

第29段 静かに思へば、万に、過ぎにしかたの


 静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき*

 人静まりて後、長き夜のすさびに*、何となき具足とりしたゝめ*、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に*、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ*。このごろある人の文だに、久しくなりて*、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし*

静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき:しみじみ思うことだが、万事、過ぎ去った日の恋しさは如何ともし がたいものだ。

人静まりて後、長き夜のすさびに:人が寝しずまった、夜長の退屈しのぎの慰みごとに、

何となき具足とりしたゝめ:どうということもない 身の回りの品々など取り出して、の意。

残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に:これは破って捨ててしまおうと思う古手紙などの中に。

亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ:死んだ人の書き散らしたもの、スケッチ類などが見つかったりすると、その人の生きていた時分の気分にたちかえった気がするものだ。

このごろある人の文だに、久しくなりて:今、生きている人 の手紙であっても、時が経ったりして、・・。

手馴れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし:故人が愛用していた調度類など。無心に久しく残っているのを見ると、思い出されてそれらが愛しくなることだ。


 懐旧の念。親しい人の遺品や文反古など。


 しずかにおもえば、よろずに、すぎにしかたのこいしさのみぞせんかたなき。

 ひとしずまりてのち、ながきよのすさびに、なにとなきぐそくとりしたゝめ、のこしおかじとおもうほうごなどやりすつるなかに、なきひとのてならい、えかきすさびたる、みいでたるこそ、たゞ、そのおりのここちすれ。このごろあるひとのふみだに、ひさしくなりて、いかなるおり、いつのとしなりけんとおもうは、あ われなるぞかし。てなれしぐそくなども、こころもなくて、かわらず、ひさしき、いとかなし。