徒然草(上)

第23段 衰へたる末の世とはいへど、なほ、


 衰へたる末の世とはいへど*、なほ、九重の神さびたる有様こそ*、世づかず*、めでたきものなれ。

 露台・朝餉・何殿・何門などは*、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀・小板敷・高遣戸なども*、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設せよ」と言ふこそいみじけれ*。夜の御殿のをば*、「かいともしとうよ」など言ふ*、まためでたし。上卿の*、陣にて事行へるさまはさらなり、諸司の下人どもの、したり顔に馴れたるも、をかし*。さばかり寒き夜もすがら*、こゝ・かしこに睡り居たるこそをかしけれ。

 「内侍所の御鈴の音は、めでたく、優なるものなり」とぞ*、徳大寺太政大臣は仰せられける*

衰へたる末の世とはいへど :末法の世。1052年、世は末法の時代に入ったと信じられていた。

九重の神さびたる有様こそ:「九重」は、昔、中国の王城は門を九重につくったところから宮中または禁中も意に用いる。皇居の神聖さ。

世づかず俗化せず。

露台・朝餉・何殿・何門などは:「露台<ろだい>」は紫宸殿にかかる台、「朝餉<あさがれい>」清涼殿の中にあって天皇の朝 夕の食堂、「何殿」とは紫宸殿<ししんでん>・清涼殿<せいりょうでん>・仁壽殿<じじゅうでん>などを指す、「何門」は建春門や建礼門などの諸門をさす。これらは、なんとも品よく聞こえる。

あやしの所にもありぬべき小蔀・小板敷・高遣戸なども:「小蔀<こじとみ>」は格子造りの小さな窓。2 清涼殿の石灰(いしばい)の壇の壁の上方にある、格子造りの小さい窓。ここから天皇が殿上(てんじよう)の間(ま)を見た。「小板敷<こいたじき>」 清涼殿の南面の小庭から殿上の間にのぼる所にある板敷き。蔵人<くろうど>・職事<しきじ>らが伺候する所。「高遣戸<たかやりど>」高い所につくった引き戸、ここでは 清涼殿の南の渡殿にある引き戸(以上『大字林』より)。これらは、御所内にあっていずれも身分の低い者達の勤務する付近の造作だが、これらもすばらしいものに聞こえる。

「陣に夜の設せよ」と言ふこそいみじけれ:「閣議室の夜間のための設備をせよ」などと言うのさえ尊いことだ。

夜の御殿のをば:<よるのおとどのをば>。 「夜の御殿」は天皇の寝所。清涼殿内にあった。ここは、寝所の設=灯りのことを、の意。

「かいともしとうよ」など言ふ:「はやく明かりを灯せ」と言う声。

上卿の:<しょうけい>。宮中行事の執行責任者たち 。

諸司の下人どもの、したり顔に馴れたるも、をかし:<しょしのしもうどどもの、・・>と読む。宮廷の諸役所の下級役人たちが慣れた得意顔で働いているのも面白い。

さばかり寒き夜もすがら:非常に寒い終夜。

「内侍所の御鈴の音は、めでたく、優なるものなり」とぞ:「内侍所<ないしどころ>」は平安時代、三種の神器の一つである神鏡(八咫(やた)の鏡)を安置した所。温明殿 <うんめいでん>にあり、内侍が奉仕した。賢所<かしこどころ>とも。そこの鈴の音は実にすばらしく優れたものだ」と言ったのは徳大寺の太政大臣だ。

徳大寺太政大臣:<とくだいじのおおきおとど>と読む。これは、藤原公孝<きんたか> (1253〜1305)で1302年ごろ太政大臣だった。  


 御所の景色についての記述。兼好はこれらをいつ体験したのであろうか?


 おとろえたるすえのよとはいえど、なお、ここのえのかむさびたるありさまこそ、よづかず、めでたきものなれ。

 ろだい・あさがれい・なにでん・なにもんなどは、いみじともきこゆべし。あやしのところにもありぬべきこじとみ・こいたじき・たかやりどなども、めでたくこそきこゆれ。「 じんによるのもうけせよ」というこそいみじけれ。よるのおとどのをば、「かいともしとうよ」などいう、まためでたし。しょうけいの、じんにてことおこなえるさまはさらなり、しょしのしもうどどもの、したりがおになれたるも、おかし。さばかりさむきよもすがら、こゝ・かしこにねぶりいたるこそおかしけれ。

 「ないしどころのみすずのおとは、めでたく、ゆうなるものなり」とぞ、とくだいじのおおきおとどはおおせられける。