世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは*
、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし*。
九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは:<くめのせんにん>は、伝説上の仙人。大和国の竜門寺にこもり空中飛行の術を体得したが、吉野川で衣を洗う女の白い脛(はぎ)に目がくらんで墜落。その女を妻として世俗に帰った。のち、遷都の際、木材の空中運搬に成功して天皇から田を賜り、久米寺を建立した。「今昔物語集」巻11にある(『大字林』より)。
まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし:実に、手足や肌のようにきれいに肥え脂ぎっていたりすると、それは
他でもない実物の肉体の美しさなのだから、なるほどくらくらとしてしまうのは無理も無いか。
兼好法師も仏門に入るまでは相当に惑ったらしいことがよく分かる。匂いに迷うのは、実体の無いものに誤魔化されるのでばかばかしいのだが、久米の仙人のケースには、相当に許容範囲が広いようだ。これは、実態としての女体があるからだというのであろう。
よのひとのこころまどわすこと、しきよくにはしかず。ひとのこころはおろかなるものかな。
においなどはかりのものなるに、しばらくいしょうにたきものすとしりながら、えならぬにおいには、かならずこころときめきするものなり。くめのせんにんの、ものあらうおんなのはぎのしろきをみて、つうをうしないけんは、まことに、てあし・はだえなどのきよらに、こえ、あぶらづきたらんは、ほかのいろなら ねば、さもあらんかし。