徒然草(上)

第6段 わが身のやんごとなからんにも、


 わが身のやんごとなからんにも*、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん*

 前中書王・九条 太政大臣・花園左大臣、みな、族絶えん事を願ひ給へり*。染殿大臣も*、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるは、わろき事なり*」とぞ、世継の翁の物語には言へる*。聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや*

わが身のやんごとなからんにも:自分の身分が高い場合ですら、の意。そういう人ですら子供は無い方がよい、というのである。その理由は後述。
数ならざらんにも、子といふものなくてありなん:数ならぬ身分の低いものならなおのこと、子供は無い方がよい。
前中書王・九条大政大臣・花園左大臣:中書王とは、
中務卿(なかつかさきよう)になった親王の称。特に文人として有名な兼明(かねあきら)親王(914〜987)と具平(ともひら)親王を、前中書王と後中書王と称した(『大字林』より)。九条 太政大臣<くじょうのおおきおとど>(1022〜1094)は藤原道長の孫という破格の家系の人、また花園左大臣(1103〜1147)も後三条天皇の孫で源有仁<ありひと>。彼らはみな子孫が無いことを願ったという。
染殿大臣も:<そめどののおとど>。藤原良房(804〜872)清和天皇の外祖父で、彼も「子孫は無いのがよく、子孫の出来が悪いのは悪い事だ」と言ったと、『大鏡』に書いてあったという 。末のおくれ給へるは、わろき事なり:子孫が出来が悪いのは良くないことだ。

世継の翁の物語には言へる:「世継ぎの翁の物語」とは『大鏡』のこと。ただし、そこにこの記事は無い。
聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや:聖徳太子も墓を作ったときに、子孫は無いと思ってここを切れとか、断てとか言ったように、子孫は無いものとしておられたのだ。 『聖徳太子伝暦』から引用。


 「子供は無い方がよい」とは、今日的常識からすると随分と突飛なことを言っているように思われる。しかし、兼好などのような世捨て人としては、骨肉の愛情は後顧の憂いとして断ちがたき想念を惹起することで扱いかねたのであろうか。


 わがみのやんごとなからんにも、まして、かずならざらんにも、こというふものなくてありなん。

 さきのちゅうしょおう・くじょうのおゝきおとど・はなぞののさだいじん、みな、ぞうたえんことをねがいたまえり。そめどののおと ヾも、「しそんおわせぬぞよくはべる。すえのおくれたまえるは、わろきことなり」とぞ、よつぎのおきなのものがたりにはいえる。しょうとくたいしの、おはかをかねてつかせたまいけるときも、「ここをきれ。かしこをたて。しそんあらせじとおもうなり」とは んべりけるとかや。