去来抄故実
卯七曰、先師は俳諧の法式を用ひ給はずや。
去來曰、成ほど用てなづみ給はず。思ふ所有時は古式を破給ふ事も有。去レ共私には破らるゝは稀也。第一先師の俳かいは只長頭丸以後のはいかいを以て元來とし給はず
、只代々の俳諧躰に本づき給へり。付句は已に久しと言へども、連俳となるは長頭丸以来にして未法式なし。仍而連歌の式をかり用ひらる。重而俳諧の法式を改作にも不レ及。又上より定たる式にもあらず。若其人あらば是を損益あるとも罪
あるまじ。其時の宗匠達は、皆元來連歌師たるゆへ、連歌の式をかり用ひらるゝ也。退て思ふに、今日の先師、もしその時にいまさば連歌によらず、俳諧の式は立つべし。世の人は俳諧を連
の奴僕の様に思へり。先師の沙汰は格別也。
卯七曰、蕉門に手に葉留の脇、字留の第三、用ゆる事はいかに。
去來曰、ほ句、脇は歌の上下也。是をつらぬるを連歌と云。一句一句に切るは長く連ねんが為也。歌の下の句に字どめと云事なし。文字留と定るは連歌の法也。是等は連歌の法によらず。歌の下の句の心も、昔の俳諧の格なるべし。昔の句に
守山のいちごさかしく成にけり
姥らも嘸な嬉しかるらん
まりこ川蹴ればぞ波は上りけり
かゝりあしくや人の見るらん
是等、手に葉とめの脇の證句也。第三も同じ。
卯七曰、蕉門に無季の句興行侍るや。
去來曰、無季の句は折々有。興行はいまだ聞ず。先師曰、ほ句も四季のみならず、恋・旅・名所・離別、等無季の句有りたきもの也。されどいかなる故ありて、四季のみとは定め置れけん、
その事をしらざれば、暫く黙止侍る也。その無季といふに二ツ有。一ツは前後、表裏、季と見るべきものなし。落馬即興に、
歩行ならば杖突坂を落馬哉 ばせを
何となく柴吹くかぜも哀れなり 杉風
又詞に季なしといへども、一句に季と見る所有て、或は歳旦とも、名月とも定まる有り。
年々や猿に着せたる猿の面 ばせを
如レ斯也と。
卯七曰、ほ句に切字を入るゝ事は如何。
去來曰、故あり。先師曰、汝切字を知ル哉。去來曰、未傳授なし、只自分に覺悟し侍る。先師曰、いかに覺悟し侍るや。去來曰、たとへばほ句は一本木の如しといへども梢根あり。付句は枝の
如し。大いなりといへども全からず。梢根有る句は切字の有る無きによらず、ほ句の躰也。先師曰、然り。しかれども夫は俤を知りたる迄也。是を傳授すべし。切字の事は連俳ともに深く秘す
、みだりに人に語るべからず。惣じて先師に承事多しといへども、秘すべしと有りしは是のみなれば、其事は暫く遠慮し侍る。第一は切字を入る句は句を切ため也。きれたる句は字を以て切るに
不及。いまだ句の切レる不レ切を不知作者の為に、先達而切字の數を定らる。此定の字を入ては十に七八はおのづから句切る也。残り二三は入
レて不切句又入れずして切る句有り。此故に或は此やは口合のや、此しは過去のしにて不切。或は是は三段切、是は何切レなどゝ名目して傳授事にせり。又丈草に向て先師曰
、歌は三十一字にて切レ、發句は十七字にて切レる。丈草撰入有り。又ある人曰、先師曰、きれ字に用時は四十八字皆切レ字也。不用時は一字もきれじなしと也。是等は
爰を知れと障子ひとへを教へ被申し也。去來曰、此事を記す、同門にもみだりなりとおもふ人あらん。愚意は格別也。是事あながち先師の秘し給ふべき事にもあらず。只先師
の傳授の時かく有し故なるべし。予も秘せよと有けるは書せず。たゞあたるを記して人も推せよと思ひ侍るなり。
卯七曰。花に定座有哉。
去來曰、定坐なし。大節なる句故譲り合侍る故、裏十一句十三句にて出す。十句八句は短句なり。十三句めおのづから花の句となり侍る也。當流には此説を用ゆ。
卯七曰、花を引上て作するはいかに。
去來曰、花を引上ぐるに二品あり。一は一座に賞翫すべき人有りて、其人に花をと思ふ時、其句前に至り春季を出、望む也。是を呼出し花といふ。又一ツは一座の貴人功者などは
佳に花を作す。又兩吟は互に一本ヅゝの句主なれば、謙退に不及。何方にても引上て作する也。さて故もなく花を呼出すは、呼出す者の過にして、花主の罪にあらず。亦故もなく
みづから引上るは、くわんたゐの作者也。是等の事は隔心の會式也。常の稽古にはともかくも有べし。人にふりかゆる花あり。これは花一句とおもふ人の句所あしき時は、我句を前にふり
かへて花を渡すなり。
卯七曰、猿みのに花を櫻にかへらるゝはいかに。
去來曰、此時予花を櫻にかへんといふ。先師曰、故はいかに。去來曰、凡花は櫻にあらずといへる、一通りはする事にて花聟茶の出はな抔も、はなやかなるによる。はなやかなりと
云ふも據有り。必竟花はさく節をのがるまじと思ひ侍る也。先師曰、さればよ、古へは四本の内一本は櫻也。汝がいふ所もゆへなきにあらず。兎もかくも作すべし。されど尋常の櫻に替たるは詮な
し。糸櫻一はひとと句主我まゝ也と笑ひ給ひけり。
卯七・野明曰、蕉門に戀を一句にても捨るはいかに。
去來曰、予此事を窺ふ。先師曰、古は戀の句數不定。勅已後、二句以上五句と成る。是禮式の法也。一句にては捨ざるは、大切の戀句に挨拶なからんは如何と也。一説に陰陽和合の句なれば、一句にて
不可捨共いへり。皆大切に思ふ故也。予が一句にても捨よといふも、いよいよ大切に思ふゆへ也。汝はしるまじ、昔は戀出ればしかけられたりと挨拶せり。又五十員百員といへども戀
の句なければ一巻とは云はずしてはしたものとす。かく計大切なるゆへ、皆戀句になづみ、わづか二句一所出れば幸とし、かへって巻中戀句稀也。又多くは戀句より句しぶり吟
重く、一巻不出来になれり。此ゆへに戀句出て付よからん時は、二句か五句もすべし。付難からん時は一句にても捨てよと云へり。かくいふも何とぞ巻つらのよく、戀句
の度々出よかしと思ふゆへ也。勅の上を云はいかヾなれ共、夫は連歌の事にて、俳諧の上に有らねば奉背にもあらず。しかれども我古人の罪人らん事をまぬかれず。只後學の作し
よからん事を思ひ侍るのみ也。
卯七曰、蕉門に宵闇を月に用ひ侍るや
、いかん。
去來曰、此事あり。洒堂曰、深川の會に宵闇の句出たり。先師曰、宵闇は則句中に有、外に月の句作せんは拙なかるべしと直に月に用ひ、扨表に月を見せざらんもいかゞと
、月並の月の字を入らるゝといへり。可有事と思へり。その後風國會に宵闇の句出る。予いふ、先師已に此式を立らるゝ上は、いざ其法にならはんと、是を月に用ひ侍りぬ。
この比許六の書を見るに、先師の宵闇を月にし給ふは故有との事也と。しかるを何の故もなく、月に用ゆるは淺間しと也。此詞を聞て恥るにたへず。許六は深川の會の徒
ながらいかに思る哉。宵闇月に用るいかヾと云り。野坡曰、東武の會にて盆を釋教とせず。嵐雪是を難ず。先師曰、盆を釋教と云はゞ、正月神祇になるかと也。予兎角を
不言。退ておもふに此事は如何様故あらん。一句に釋無しとも、已に盆と云は釋ならんか。中元の類にあらず。不審也。
去來曰、許六と
明月の明の字を論ず。予は第一、八月十五夜婁宿也。清明を用。第二、和歌にも今宵清明を詠メり。第三、詩にも晴明の字有。第四本朝の習字儀叶ふをかり用る事有。富士を不二、吉野を芳野と書
るがごとし。先達も明の字書れたる多し。明の字書て苦しからじいふ。許六曰、明月と八月十五夜とは和歌題各別也。名月は良夜の事也。名月に明の字書は未練といふ。
此論至極せり。若し明月の題を得て、中秋の月を作せば放題となるべし。名月に明の字を書間敷事必せり。
許六曰、村雨は季
無し。季を結ぶに習ひあり。熊野のうたひに、のふのふ村雨のして花をちらし候といふは、歌道知らぬ者の作也と也。去來曰、村雨多くは夏のはじめ秋の半に詠み侍る。歌人に問ふに、
花にも月にもむすぶなり。春のすへ夏のはじめ、遲ざくらなどに結び侍る事にや。證歌は覺悟せず。退て思ふに急雨と書く、必竟一降雨なれば、其の風情をうつし得ば、いつを
限るまじ。無季なるもかゝる故にや。
去來曰、手爾波
葉は天下一まいのてにはにて、誰々も知るもの也。一字も違ひぬれば必不通。又傳授あるてにはといふに至ては、天下に知ル人少なし、堂上にも傳授の人多くまましまさずと也。
是より始めて人の歌も直し給ふとかや。又地下に傳授のの一筋あり。紹巴・貞徳も此傳也。先師も此傳と承はる。我輩のみだりにいふ事に非ず。
許六曰、古事古歌を取には、作を並べて心を盡す
べし。たとへば
名將の橋の反見る扇かな
といへるは、名將の作にして句主の作にあらず。
去來曰、古事・古歌を
とるには、本歌を一段すり上て作すべし。たとへば蛤よりは石花を賣レかしと云西行の歌をとりて、
かきよりは海苔をば老の賣もせで
と先師の作有。本歌は同じ生物を賣ともかきをうれ、石花はかんきんの二字に叶ふといふを、先師は生物を賣んよりは海苔を賣れと一段すり上て作り給ふ。
のりは法にかよふ也。老の字力あり。大概如斯。
先師曰、世上の俳諧の文章を見るに、或は漢文を
假名に和らげ、或は和歌の文章に漢字を入レ、辭あらく賤しく云なし、或は人情を云とても今日のさかしきくまぐまを探り求め、西鶴が淺間しく下れる姿有。吾徒の文章は慥
かに作意を立、文字はたとひ漢字をかるとも、なだらかに云ひつゞけ、事は鄙俗の上に及ぶとも、懐しくいゝとるべしとなり。
先師曰、凡讃名所の
發句は、其讃を其所の發句と見ゆるやうに作るべしと也。西行の讃を定家の繪にも書、明石の發句を松嶋にも用ひ侍らん事は拙き業なるべし。
先師曰、俳名は穴勝熟字によらず、
只となへ清くとゝなひ、字形の風流なるを用ゆべし。短冊など書て猶見る所あり。片名書侍るにことごと敷字形は苦しかるべし。はせをはかなに書ての自慢也となり。又野明が名を
始は鳳仞といひけるを、釼刃の字有、名に用ゆべからずとて、先師の野明と改め給ひける。
去來曰、俳諧の集の模様、やはり俳諧の集の内にて作すべし。後あら野集
献立を見て、先師も我を折給ひき。かの徒然草はあつめ書の部になりて、歌書の内にいらずとかや。思ふべし。
去來曰、外題の寸法
有。たては表紙の三分が一をとり、横は五分が一をとるとやらん。猿みのゝ時先師宣ひけり。たしかに覺へずと也。
魯町曰、竹植る日は古來より季にや。去來曰
、不二覺
悟一。先師の句にて
始て見侍る。古來の季ならずとも、季に可然物あらばゑらび可用。先師曰、季節の一ツもさがし出したらんは後世によき賜也と。鹽かきの夜も古來の季節かしらずといへども、五月晦日なれば夏季に定
ると、可南が句に沙汰し侍る。
卯七曰、先師に二見形といふ文臺侍る
由、いかゞにや。
去來曰、然り。史邦是をよく寫さる。先師の指圖、寸法を直に聞侍れど忘たり。元来文臺も所持せず。その後門人寫し侍る人多し。
去來曰、先師
曰、俳諧の書の名は、和歌詩文史録等と違ひ、作者の有べしと也。されば先師名づけ給ふを見るに、猿蓑・みなし栗・三日月日記・冬の日・ひさご・葛の松原・笈の小文
等みなその趣也。去來曰、浪化集の時上下を有磯海・砺波山と號す。先師曰、みな和歌の名所なれば紛らはし、浪化集と呼べし。魯町曰、浪化集と、俳書の名は詩和歌史文を分つべからず。去來曰
、されば浪化、詩人ならんには詩集なるべし。俳諧者たれば見るより俳諧書といふ事明らけし。