芭蕉db

笈の小文

(菩提山)


菩提山

山のかなしさ告よ野老掘

(このやまの かなしさつげよ ところほり)


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表紙 年表


此山のかなしさ告よ野老掘

 伊勢の菩提山(ぼだいせん)神宮寺は、行基の開基の寺と言い伝えられていたが芭蕉が訪れたこの時代すでに荒れ果て、山野に変わっていた。見る影もない悲しい状態が一句の動機。
 ところで野老芋はとろろ芋でもあり、芭蕉は、山野に自生している自然薯の意で用いているらしい。しかし、自然薯と山芋(またはとろろ芋)は、植物分類学上はまったく異なるもの。野老掘の村人はやはり老人と見るのが自然のようだ。
 なお、『真蹟懐紙』には、
   菩提山即事

山寺の悲しさ告げよ野老掘り

とある。


不破郡垂井町岩手、観音院菩提寺境内の句碑(牛久市森田武さん撮影)


菩提山神宮寺跡は薮の中にあった(同上)