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芭蕉db
喜三郎何某は稲葉山の麓に閑居を
占めて、納涼のためにたびたび招
かれ侍りしかば
(真蹟懐紙)
(しろあとや ふるいのしみず まずとわん)
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貞亨5年夏、『笈の小文』の旅の復路。岐阜富茂登の松橋喜三郎。当地の庄屋で稲葉山山麓に別邸を持っていた。ここを訪れて。稲葉山は稲葉山城の跡地で斎藤道三によって築城された。後に織田信長がこれを受け、全国制覇の拠点とした。山城であるため水の確保が難しく、それゆえ深い井戸が必要であったはずであるとしてこの句にいたる。
西行の歌「すむ人の心くまるるいずみかな昔をいかに思ひいづらむ」(『山家集』)からの連想か。
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城跡や古井の清水まづ訪はん
昔、織田信長によって栄えた金華山稲葉山城だが、ここを訪れてまず真っ先にたずねてみたくなるのは清水のありかである。そここそ人の心の昔をたずねる心持ゆえに。「夏草や兵ものどもが夢の跡」に通ずる句でもある。
岐阜市岐阜公園にある句碑。牛久市森田武さん提供
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