芭蕉db
    座右之銘
   人の短をいふ事なかれ
   己が長をとく事なかれ


物いへば唇寒し穐の風

(芭蕉庵小文庫)

(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)

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 貞亨元年から元禄年間ではあるが作句年詳細が不明。『蕉翁句集』では元禄4年とする。なお、この時期の制作年次不明のものとして、58句がある。

物いへば唇寒し穐の風

 「人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」で他人に口角泡を飛ばして非をなじったり、自分の優れたことなどしゃべらない、ということを座右の銘としたい、というのである。芭蕉が、そういうことをしたことがあったのだろうか?
 古来、「何かいうと他人から非難される。クワバラクワバラ」と間違った解釈がなされている。「黙っているにかぎる」というのだが違う。下記「Q&A」参照。


東京足立区千住神社境内の句碑(牛久市森田武さん提供)


Q&A

  Q::はじめまして。突然のメールで失礼致します。こちらは○○市立中央図書館・レファレンス担当と申します。
 現在、当館の利用者依頼による参考調査で、芭蕉の『物いへば 唇寒し 穐の風』の解釈について調べております。色々文献を見たものの、こちらに読み取るだけの力量がないのと、調査事項に関する記載が少ないのとで煮詰まっている状態です。 そのため、勝手なお願いで大変恐縮なのですが、伊藤さんのお力をお借りできればと思い、メールさせていただきました。
ご存知の通り、『物いへば 唇寒し 穐の風』は、大概の文献では訓戒の句として解釈されています。ところが、この句の解釈の調査を依頼した当館の利用者は、伊藤さんがおっしゃるように、訓戒の句と解釈するのは誤りであると考えています。そこで、裏づけとして、何らかの文献を求められ、探している次第です。  伊藤さんが、なぜ『物いへば 唇寒し 穐の風』を訓戒の句とするのが適当ではないと判断されたのか、あるいは訓戒の句ではないと解釈されたのか、具体的な根拠がありましたら、ご教授ください。また、訓戒ではない解釈が載った文献等がございましたら、合わせてお知らせください。誠に勝手なお願いで申し訳ありません。何卒よろしくお願い致します。
A: 

句の解釈のことで私見を述べます。
@ 芭蕉の約890句の中に、教訓を述べた句というのは皆無といっていいと思います。つまり、芭蕉は荘子に心酔してはいましたが、あまり道学者では無かったように思います。
A この句が、教訓の句とされる理由は、一にかかって、前詞「座右之銘 人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ 」に起因しています。これは、『芭蕉庵小文庫』において追加されたもので、同書は元禄9年に上梓されています。したがって、編者史邦の私見が加えられたものと思います。特に時代背景として、綱吉の論語好きも影響があって、教訓色を好んだのも原因かもしれません。
B しかし、真蹟懐紙には、「ものいはでただ花を見る友もがな」といふは、何某鶴亀<なにがしかくき>が句なり。わが草庵の座右に書き付けけることを思ひ出でて」と前書きしています。これの真贋を一応信ずるとすれば、「草庵の座右に」するという行為はたしかに教訓めいた感も否定できません。それでも、句の初案は急に寒くなった晩秋の朝、実際に口を開いたら寒かったのではないでしょうか。そして、そこから鶴亀の句が想起されて、前詞をつけたから、たちまちにして教訓化してしまい、その後の編者は全てそれを踏襲、今では道徳先生の講和の中にしばしば入れ込まれますから、すっかり道徳的名句?となってしまったのだと、私は解釈しています。
C これに近い解釈は、加藤楸邨『芭蕉全句』(筑摩書房)がありますのでご参考になさってください。