芭蕉db

  名月や座に美しき顔もなし

(初蝉)

(めいげつや ざにうつくしき かおもなし)

月見する座にうつくしき顔もなし

(つきみする ざにうつくしき かおもなし)

名月や海に向かへば七小町

(めいげつや うみにむかえば ななこまち)

名月や児立ち並ぶ堂の縁

(めいげつや ちごたちならぶ どうのえん)

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 元禄3年8月15日尚白との両吟歌仙の發句。47歳。『初蝉』(風国編)には、「翁義仲寺にいませし時に、「名月や児立ち並ぶ堂の縁 芭蕉」とありけれど、此の句意に満たずとて、「名月や海に向かへば七小町 芭蕉」と吟じて、是も尚あらためんとて、「名月や座に美しき顔もなし 芭蕉」といふに、其の夜の句は定まりぬ。これにて翁の風雅にやせられし事を知りて、風雅をはげまん人の教へなるべしと、今爰に出だしぬ。」とある。このとおりかと思われる。

名月や座に美しき顔もなし

 暫くの間名月に見とれてふと我に立ち返って今宵一座の顔ぶれを見てみると、なんと美しい顔をしたものとて一人もいない。現実の世界の面白さを一瞬のうちに切り取ったまさに俳諧の極意である。芭蕉秀句中の秀句といってよいであろう。
 ところで「
月見する座にうつくしき顔もなし」は、『初蝉』の編者の記録には無いが、結局決定句に至る一過程だったのであろう。
 「
名月や児立ち並ぶ堂の縁」は、実に幻想的でもちろん嘱目の世界ではない。名月という幻想的な世界において芭蕉の脳裏に浮かんだ虚の風景である。同じように「名月や海に向かへば七小町」はやや現実的ではあるが、想像の世界である。(「七小町」は、謡曲に描かれた小野小町の生涯を言う。)そこから一転して、決定稿に到ると、高雅な世界から卑俗の世界へと一気に変る。この推敲過程そのものが芭蕉の中期から軽みにいたる過程をなぞっているようですらある。
 ちなみに、当夜巻かれた歌仙の表六句をかかげておく。

 月見する座にうつくしき顔もなし  芭蕉

庭の柿の葉みの虫になれ  尚白

火桶ぬる窓の手際を身にしめて  同

別當殿の古き扶持米  蕉

尾頭のめでたかりつる鹽小鯛  蕉

百家しめたる川の水上  白