芭蕉db
 
木曾塚の旧草にありて敲戸の人々に対す
 

草の戸を知れや穂蓼に唐辛子

(笈日記)

(くさのとを しれやほだてに とうがらし)

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 元禄3年秋。近江膳所の義仲寺近く無名庵にての作。「木曾塚の旧草にありて敲戸<こうこ>の人々に対す」とあるように、来客に向かって歓迎吟とされている。 なお、「敲戸の人」は戸をたたく人で、来訪者のこと。

草の戸を知れや穂蓼に唐辛子

  我が草案の自慢といえば、唐辛子と穂蓼です。唐辛子も蓼もガーデニングと呼ばれるような有閑人?の趣味によって作られたものではない。つまり、放っといても出てくるような代物。それを我が宿の自慢とする。貧の強調。
 ところで、「蓼」とは刺身のつまに出てくるピンクの花の咲く草があるがあれをホンタデなどという。イヌタデ、ハナタデ、ヤナギタデなど蓼の名を持つ植物の総称(広辞苑) イヌタデなどは、耕作放棄された田畑に我ものがおに繁茂している。
ここに「穂蓼<ほたで>」とは、花穂の出てきたタデのこと。