芭蕉db
甲斐山中

山賎のおとがひ閉づる葎な

(続虚栗)

(やまがつの おとがいとずる むぐらかな)

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 貞亨2年、43歳。『野ざらし紀行』の帰途、甲州谷村への道筋での句。山梨県内の何処であるかは本当は不明だが、今日では山梨県都留市であると同市では主張している。

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句碑−山梨県都留市、山梨県立富士女性センター前
(深川の芭蕉庵が焼失したため、天和3年早春から初夏までの約半年間、芭蕉は高山伝衛門(俳号
麋塒)の援助でここに疎開した)


山賎のおとがひ閉づる葎かな

 甲州の山は何処も急峻。夏草の茫々と生い茂る山路では、さすがに山人もおとがいを閉じて歩かなくては、口の中に夏草の穂先が入ってしまう。おとがい(頤)とは下顎のこと。
 山道で会った木こりか猟師が無口で通り過ぎたのを、夏草が口を塞いで喋れないためとして興じたものであろう。