芭蕉db
 

此度下官*、三山順礼の序*、追悼一句奉るべきよし、

門徒しきりにすゝむるによりて、をろをろ戯言*

一句をつらねて香の後に手向侍る。

 

その玉や羽黒にかへす法の月

(真蹟懐紙)

(そのたまや はぐろにかえす のりのつき)

句集へ 年表へ Who'sWhoへ


 元禄2年6月4日。『奥の細道』旅中、羽黒山にて。

その玉や羽黒にかへす法の月

 羽黒山第50代別当天宥法院<てんゆうほういん>は、政治力ならびない傑物で、羽黒山中興の祖であったが、庄内藩との抗争に巻き込まれ、酒田家の讒言によって 寛文8年(1668)伊豆大島に流罪となり、延宝2年(1674年)彼の地で果てた。一句は、この天佑法院を偲んだもの。玉は霊のこと。